カテゴリー「アニメ・コミック」の記事

2014年10月12日 (日)

実写版ドラマ 地獄先生ぬ~べ~1話 雑感・感想

95cora

今や人気の漫画作品の実写化やアニメ化、映画化など珍しくなくなってきた。
これまでアニメ漫画原作の実写版は大抵コケる定説感が拭えなかった。

特に印象に残っているのは外国製の実写版ドラゴンボール実写版北斗の拳などを覚えている。
イメージがかけ離れすぎている配役、現実感とかけ離れすぎてチープになってしまいがちな装飾や映像表現などを目にすると違和感ばかり残ってしまう事の方が多かったのではないだろうか。

しかし、最近では『るろうに剣心 京都大火編』は人気になっているし、島本和彦の『アオイホノオ』。漫画原作の実写化は非常に好調だ。
その他にもゲームが元になっている勇者ヨシヒコシリーズやくにおくんなど実写版が無数に出てきている。

今回の作品はその好調路線+人気作品+ジャニーズ人気+妖怪ウォッチ人気など色々な良い状況にあやかって売り出している感がある。
岡野剛さんの作品は模範的で粗がない絵柄と物語、見る人によっては何かに開眼させてくれるサービスの多い作品は結構多い。

作品の雰囲気

全体的にノリが軽くコメディー喜劇路線。克也を中心とした生徒らの軽さが余計に軽さを強めている。先生や生徒らのみならず妖怪にまで笑いに参加させようとする場面も多くネタ優先によるキャラ崩壊は既定路線にある。VFX技術が随所に盛り込まれていて濃い造形の妖怪は見もの。
スタッフには日テレ系ドラマ『悪夢ちゃん』で活躍した人も数名いてVFXで岡野正弘氏と熱田健太郎、音楽は横山克、美奈子先生役で優香なども参加している。

配役の印象

鵺野先生はそれほど悪くない印象。律子先生へのKYな怪談話で嫌われたり、体当たりな部分は熱血教師ぽさが出ていた。初回なので性格付けをはっきりさせる目的もあるだろうからとりあえず悪くない。

玉藻先生は本来クールでカッコいいはずなのだがナルシストな部分が強調されてお笑い担当のキャラにされてしまっている。全校集会での自己紹介でも余計な笑いを入れた後も当然のようにもこみちのオリーブクッキングが始まってしまう。キャラ崩壊は既定路線だが配役的には端正なルックスと品の良さ、理知的らしさは出せそうではある。    
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生徒たちはもうどうでもいい。克也を中心に軽い大学生のような軽さが目立つ。生徒A、生徒Bとかでまったく差し支えない。キャラの繊細な性格付けが皆無。イケメンのジャニーズばかり起用しているものだから見た目の個性も薄いので見分けるのに苦労する。これも今回は初回なので様子を見てからでも遅くない。
原作を考えると「生徒の不甲斐なぬーべー先生が助ける師弟愛的物語」だと思うのだが、高校生ともなると結構ひねくれて繊細さなんてカケラもない。特に騒がしい克也がそれを象徴している。

原作の地獄先生は小学生という不安定で未熟な立場だからこそ変なトラブルに足を突っ込んでは庇護される対象として教師が生徒を守る構図が引き立っていたのだと思う。守られる生徒たちを高校生にしてしまった為に子供だまし的な怪談ネタ(口裂け女、人面犬)はそのままではまず使えなくなってしまった。

今回は最も子供っぽい部分を残しているまこと(オカルトマニアなので)が庇護される対象となったが、今後は鵺野先生がそれなりに成熟した高校生をどのように助けていく展開になるか変化が期待される。この辺はやや挑戦的で妖怪ウォッチまで持ち出して生徒が否定しにかかている場面がある。(美味しんぼで初回から三大珍味を否定する展開に似ているかも)

雪女は韓国の女優ということで少々話題になった事もあるし、多少嫌悪感がないわけではなかったが意外とかわいいと思ってしまった。
対日感情とか韓国推しあったのだろうが衣装がチマチョゴリ風になってしまったのは少しもったいなかった。
覇鬼は毒舌で理屈っぽい鬼らしいキャラは坂上に丁度良さそうではある。ヴィシソワーズの例えは確かに一理ある。キャラ的にも鵺野先生の心の葛藤を支えるサポートキャラ兼お笑い担当に転身。ボケ担当には漏れなく優香がついてくる。キャラ崩壊が著しい感じだがシュールさは面白い。

原作と違う点とどう向き合うか

配役の違和感もさることながら実際に玉藻先生の自己紹介を見てからもう原作路線放棄のギャグ路線は既定の方向が確定した。
原作好きの人は違和感が半端なかったのだろうが、別物の喜劇的なドラマとしたら結構楽しめないことはない。

変わった妖怪が何体も出てきたのでVFXの実験的作品として見るなら地獄先生は極めて最適な選択で楽しめる部分は多いと言える。
妖怪との距離感が異常に近くネタの掛け合いのシュールさは嫌いではない。しかし、この面白さもしっかりとした元ネタや設定があるからこそ面白い点は忘れてはいけない。

個人的には実写版の面白さには懐疑的な部分があって安易にビッグネームを出したりキャラ設定を否定することで面白いという感覚は底が浅いという思いがある。 本来の原作設定を踏襲しないものに親しまれたキャラの名称を与えるのは名義貸しみたいなものではないか?ロボット物でもガンダムと付ければ商売しやすくなるようなものではないか。

TOYOTAのビートたけしや木村拓哉が織田信長や秀吉に扮する(?)ReBornのCMを見ていると「ずるいなぁ」と思ってしまう。北野や木村たちを現代に復活させて特にキャラ的に味付けしなくても偉人として『織田信長』とか言ってれば歴史上のIf(イフ)を感じた気になれるのだろうが、味付けが足りない。


実写ではないがビッグネームを出して良い味付けをした作品は宮崎吐夢のペリーだろうか。実際にありえない内容だがキャラの踏襲を外さずに笑わせる努力が見られる。

地獄先生のオリーブ玉藻先生や理屈っぽい覇鬼などキャラ崩壊のIf(イフ)の設定は原作の力がなければ成り立たないのだ。
今のところジャニーズばかりの配役やギャグ路線に懐疑的ではあるが、とりあえずは別物と考えるとコメディーとしてはそれなりに面白いものだった。
もう少し継続して見てみようと思う。

 

 

 

 


おまけ:勢いばかりの自作絵^^;とりあえずマンガを完成させなければ。

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2013年9月19日 (木)

アニメ 『ベン・トー』 視聴後の感想

去年アキバに行った折、特に好きでもないのにキャラ萌えで買ったフィギュアを購入した。
一度はアニメぐらい目を通しておこうと思いレンタルで見てみる。

その時購入したのが以下のフィギュア。 キャラクターが好みであったのと、ポーズが艶めかしくスカートの曲線なども色っぽい。普段は活発そうなキャラなのに顔を紅潮させているのも妄想を掻き立てる。
購入後知ったことだがセーラー服を脱がせられ一つで2度おいしい仕様。はがす際に接着剤が強すぎて塗装が少し剥がれてしまう仕様だがプライズ品なので価格的にも1000円以内で購入可能で良いものだと思う。


作品名は『ベン・トー』 という半額弁当を求め死闘を繰り広げる狼たちの物語。

まず良い点として作品のつかみは面白かった。
半額品を求めるという極めて生活感あふれる部分から共感を得て、スーパーの内装の再現度がいちいち高く日常的なスーパーの雰囲気がよく出ている。
私の近くスーパーでも総菜コーナー周辺で半額シールを張るのを見るや多くの人だかりができ、半額弁当に群がる人々を目にする。滑稽とまでは思わないが半額品を狙うハンターは現実にも間違いなく存在しているが、これを武力闘争にまで発展させたのがこの作品だ。
半額品を狙う狼たちにも二つ名を持つものが多数存在し、(「氷結の魔女」、「ウィザード」など)狼たちに一目置かれている。

ストーリー

ストーリー的には半額弁当の魅力に強く共感を得た。きちんと料理としてパッケージ化された弁当。価格もさることながら素晴らしく美味しい。この作品では高級なスーパーに置かれているものが多かったが高級スーパーの上質な弁当は一層おいしく感じられる。それぐらい半額弁当は素晴らしい。
すべては半額弁当の為であり非常識な展開が繰り返され突き抜けた面白さがあるといえるかもしれない。

しかしながらたかが半額弁当ごときで店内でバトルを繰り広げ、勢力争いや方方のスーパーを捜し歩くというのは作品の目標が低すぎてどんなシリアスな戦闘やシーンを重ねても「でも結局は半額弁当の為」という事で深みがなくなってしまう。動機が『半額弁当』にすべて集約されているのでどうもシリアスシーンでも何もかも薄っぺらく感じてしまう。キザなセリフも締まらない。
半額弁当がなければ作品は多くを占めるバトルシーンとサービス的に入れらた萌え以外はほぼ見るべき点がない。
半額弁当を至高の存在に仕立てたはいいが半額弁当の素晴らしさや異常に執着するについての説得力に欠ける。
アニメ的に美味しそうな質感は表現できてもグルメ漫画程に掘り下げる事は難しかったのではないだろうか。
ギャグ的にも萌え的にもパンチがもう少し欲しい気はした。

作画

全体的に破綻もなくアクションシーンは躍動感があって素晴らしい。OPもなかなかカッコいい。サービスの萌えシーンでもいい仕事をしていると思う。弁当を食べるシーンにも作画は素朴においしそうには見える。
特に筋肉BL小説書きの白粉(おしろい)と白梅(しらうめ)との百合シーンはこの作品でもっとも見所があるシーンだ。他にも白粉が弄られるシーンも悪くない。

キャラクター描写

掘り下げができているキャラとそうでないキャラの差がある。
見せ場的には白粉が一番面白かった。主人公と何かと行動する機会が一番多くにBL展開を妄想したり、白梅(しらうめ)との絡みも用意されている。立場的にはメインヒロインっぽい槍水(やりみず)は主人公とは先輩後輩の関係で会話に距離が感じられる。クールなキャラを崩す萌える展開も少なくあまり面白くない。
全体的に露骨すぎない程度には他の女の子たちとの密着シーンや恋愛に発展しそうなシーンを盛り込んでほしかった。

主人公はホモ受けがいい(ショタ?)描写が多く、なにかと裸にされたり、警備員に乾電池を尻に入れられそうになったり、女装など個人的には少し萌えたが、すぐ下ネタにはしる売れない芸人のようにも見えた。

狼たちが店内で集団で殴り合う場面はシュール。棚に乗ったり割りばしやカゴまで利用して非常識極まりない。
(ツイッターでバイト店員の不衛生画像投稿を思い出す。)
無難に半額弁当を獲得するだけでは満足せず勝ち取ることに意義を見出している。 半額弁当はいいものだが彼らの行動には全く理解ができない。

まとめ

なぜ半額弁当にこれほどの情熱を注げるのかは全く理解できないし、突き抜けてる割には面白さに直結していない気がする。その点を無視すればアクションシーンや萌えシーンなども作画は良いし、店内の様子など凝ってるので見どころはそこそこある。 音楽もアクションシーンに合って悪くないです。

あと半額弁当に対しての低価格ながら素朴な美味しさというのは伝わってくる。今川泰宏監督の『ミスター味っ子』のような派手な表現はないが地味ながら弁当を食べ進める様子はさながら貧しいながらも半額弁当に喜びを見出す人々のリアルな感覚を覚える。 (私自身も半額弁当をよく買う)
『孤独のグルメ』の名台詞の「モノを食べるときはね―独りで静かで豊かで」(横棒は省略)にもどこか通じるのではないだろうか。

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2011年8月30日 (火)

終わりから始まる『あの日見た花の名前を僕はまだ知らない。』

子供時代のノスタルジー好きで、これから新しい気持ちで再出発をしたいと思っている方はお薦めです。ZONEの曲もひと夏の青春を思い出させます。
めんまなかなか面白いです。(^^)

 

一言でいえば「終わりの始まり」のお話

この話は一言でいえば「終わりの始まり」(終わりから始まるという意味で)といった印象を受けた。
終わりから何かが始まるという感覚は作中の輪廻に触れている部分と一致している。

めんま(本間芽衣子)の死をきっかけにかつてその子と仲の良かった子供たちは気持ちに心に枷を課してしまった。
子供たちは成長してそれぞれの道を進んでいるかのように見えたが心の葛藤は続いており、生活に綻びが生じたまま日々を過ごしていた。
最後に芽衣子に対しての思いが満たされることでそれぞれが自分の人生を前進させるきっかけとなる。
成仏したのは芽衣子だけではなく、彼らの悶々とした気持ちも成仏させてしまったようだ。

 

子供時代を思い出させる作品

「昔はあんなに仲間たちと楽しく過ごしたのに」という気持ちが去来する作品。
あるいは子供時代を彼らのような連中と過ごす事が出来なかったと思う人は幻想めいた楽しさを夢想させるような作品だなーと思う。

特に小さい子供時代は世間的な窮屈さや学校や一般生活での挫折経験もない。
恐らくは子供たちの中で進学する段階になって自分の人生と他者の人生が別物である意識が明確に出る頃ではないだろうか。

子供の時の猶予期間が終わり仲の良い友達とも進路も別になるとまるで気持ちまで離れ離れになってしまったかのようになる。
それは現実的な学力の差によって学校が決まる事であったり(つることゆきあつ)、交友関係の変化(あなる)、価値観の多様化(やどみとゆきあつ)や引っ越しで遠方に行ってしまう(ぽっぽ)事などがあるだろう。
誰しもそうやって何度も別れと出会いを繰り返していく事だろう。

 

周りを取り巻く世間

主人公のじんたんは底辺高校に通う事になり(学力はあったようだが)、ひきこもり生活をしている。近所のおばさんや中学の同級生の視線が気になり、ゆきあつに馬鹿にされる。
あなるはPTAにラブホテルに行ったのを目撃され学校に連絡されてしまい。クラスではその話題で持ちきりに、あなるはある事ない事を陰口を言われ苦しめられる。

このように世間の窮屈さを実感させる場面がいくつかある。他の要素として細かい気持ちの機微などがあって、絵の表現も写実的な方で破綻も少ない、話も無理がない感じで感情移入がしやすかった気がする。

 

話の核となる芽衣子

この作品はすべては芽衣子が核になる事で成り立っている。恋の相手として嫉妬する対象であり、失恋、トラウマ、無気力を抱えるキッカケとなっている。その為には芽衣子が魅力的なキャラクターであり続ける必要があるだろう。

1話などから見返してみるとコロコロ表情が変わる。主人公とのやり取りも面白い。人懐っこく激しくくっついたり抱きつき攻撃をするのも小動物みたいで可愛い。全編純真無垢な存在として描かれるが意外と不自然さが少なく感じる。声優さんも上手かったと思う。

これはまた女性の視点から見ると見方が変わってくるかもしれない。


少し気になった場面

芽衣子が存在が発覚したのが11話中8話の終盤で意外と遅かった。説明をしようと思えばできただろうが、登場人物が存在しない物として取り扱った方が複雑な人間関係を描きやすかったに違いなく、旧交を温める時間をあまり与えない方が最終回は効果的なのだろう。

終盤も急な感じがあった。女同士のエゴの指摘合戦が始まり、ぽっぽの自白が始まる。
海外の反応ではぽっぽの扱いがひどいそうで、確かにぽっぽは成仏するために協力を惜しまなかったが情に熱い人柄とかぶり、こころの葛藤は多くはなかった。そして実は気楽に見えて最もショッキングな場面に遭遇した人だ。
笑い要素も強すぎてしまったようだ。

 

最後は登場メンバーたちは過去の絆を取り戻し新しい出発を始める。
芽衣子の生まれ変わりを信じる気持ちは、彼らが新たな人生を歩む意味でも動揺の意味と捉えられるのできちんとまとまった気がする。

短い話数なりに心理的な見せ場が多く見所のある良い作品だったと思う。

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2010年12月 1日 (水)

驚愕の事実!ジャムおじさんとバタコさんは人間じゃなかった!

ジャムおじさん達が人間だと思っていた時期が私にもありました…。
だって人みたいな立派なヒゲと髪の毛を貯えているんだもの…。きっと無意識にかわいくない妖精は妖精と認めたくなかったんです。そうに違いありません。

当初から登場した身近なキャラクターなだけに差別的な意味合いはないものの、なんだかジャムおじさん達が少し遠い存在になってしまったような感覚に陥る。

なかまのしょうかいでも人型のキャラが沢山いるので、そういった妖精の一人なのだろう。
せっかくなのでキャラクター紹介を見るとアニメーションが凝ってて見ていて楽しい。
個人的なお勧めではいくらどんちゃんがなかなか可愛い。

アンパンマンQ&A

アンパンマンのせかい

アンパンマンQ&A

トップQ&A

ジャムおじさんとバタコさん以外人間はいますか?

答えをみる

こたえ

アンパンマンワールドに人間はいません。
ジャムおじさんとバタコさんも人間の姿をしていますが、妖精なんです。

 


↓ラップのYO!SAY!(妖精)、全米NO.1ラッパーMr.JAM。(なんと半端な…)

YO!SAY!JAM

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2010年11月18日 (木)

クレヨンしんちゃん 新企画「SHIN-MEN」は成功するのか?

11月26日、クレヨンしんちゃんスペシャルで「SHIN-MEN」が放送されるらしい。
クレヨンしんちゃんの過去のエピソードでもスペシャル企画として番組のタイアップで仮面ライダースシ王子などとのコラボ、ロード・オブ・ザ・リングや椿三十郎のパロディなども行っている。なので今回X-MENのようなパロディ作品が時々出るぐらい珍しくないのだが、少し気になる文言が以下に書かれている。(以下赤字強調)

クレヨンしんちゃん :スピンオフ企画始動 しんのすけそっくりの5人組「SHIN-MEN」誕生

2010年10月29日

「クレヨンしんちゃん」に新たに誕生する5人組ヒーローキャラクター「SHIN-MEN」の(左から)スィ、ヒュー、ゴゥ、カン、ニョキ (C)臼井儀人/双葉社・シンエイ・テレビ朝日・ADK

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テレビアニメ「クレヨンしんちゃん」(テレビ朝日系)に、主人公・野原しんのすけにそっくりの5人組ヒーローキャラクター「SHIN-MEN(シン-メン)」が誕生し、「クレヨンしんちゃん SHIN-MEN」としてアニメとマンガでシリーズ化されることが29日、明らかになった。原作者の故・臼井儀人さんが生前から大いに気に入っていたという企画で、アニメは「クレヨンしんちゃん」の制作スタッフが手がけ、マンガは「臼井儀人&UYスタジオ」が、アニメとは異なるストーリーを「月刊まんがタウン」で連載する。

「クレヨンしんちゃん」は90年8月から「weekly漫画アクション」(双葉社)で始まり、00年から「月刊まんがタウン」(同)に連載されたギャグマンガで、コミックスは累計5300万部を発行している。作者の臼井さんは昨年9月、日帰り登山に出かけた長野県佐久市の荒船山で転落死したため、連載は今年3月号の1126話で最終回を迎えた。だが、臼井さんと長くチームを組んできたスタッフが新たに「臼井儀人&UYスタジオ」を設立し、臼井さんの作品世界を踏襲して新たに描いた「新クレヨンしんちゃん」を、8月5日発売の「月刊まんがタウン」9月号で連載を再スタートさせた。

「SHIN-MEN」は、原作マンガが今年連載開始から20年を迎え、テレビアニメが来年4月に放送20年目に突入、劇場版アニメが12年春に20作品目を迎えることから進められている「クレヨンしんちゃん20周年プロジェクト」の一環。パラレルワールドの「しん次元」が舞台で、特殊な能力を秘め、同じ顔を持つ5人のしんのすけが、世界を救うために間抜けな悪い豚のキャラクター5人組「TON-MEN(トン-メン)」と戦うSF物語。作品のテイストは健在でギャグも満載されており、今後、もうひとつのクレヨンしんちゃんワールドとして展開される。

「SHIN-MEN」のメンバーは炎、水、風、緑、鉄のエレメントを象徴する超能力を操る。それぞれ特徴や住む場所が異なり、炎の得意技を持つ「ゴゥ」は、いいかげんでヒーローであるにもかかわらずまったくやる気がなく、“本家”のしんのすけに最も近い性格。風の「ヒュー」は、風が絶えず吹く「風の国」の王子で性格はハードボイルド。緑の「ニョキ」は亜熱帯の国をホームタウンとする人気歌手で、水の「スィ」は涙もろい人情家。鋼鉄都市から来た鉄の「カン」は、不器用でメンバーにも言えない秘密を抱えているという。敵キャラクターとして「TON-MEN」の秘書、ブリットニーも登場する。

初登場は11月26日午後7時からのスペシャル番組「オラは過去を振り返らないタイプ。でもね! クレヨンしんちゃん20周年スペシャルだゾ(仮)」で。その後、毎週金曜午後7時半からの「クレヨンしんちゃん」レギュラー放送に月1回程度のペースでエピソードが放送される予定。マンガは11月5日発売の「月刊まんがタウン」12月号から掲載予定。(毎日新聞デジタル)


この作品を月に1回放送するらしい。個人的な印象としてはあまり流行るような印象があまりない。少なくとも子供向けな内容にしかならないだろう。臼井儀人氏が亡くなられてから「クレヨンしんちゃん」のアニメと漫画が継続する運びとなったが、今回の企画はそういった継続の目的で行われたという事が多少あったのかもしれない。

おそらく原作者が不在の為に持続的にオリジナルの作品を作る必要があったのではないかと考えられる。
臼井氏の漫画原作が実際にアニメ放送にどれぐらい採用されているかざっと確認(44~47巻)をしてみて、アニメ独自の回もかなりの割合で含まれていると考えて良いだろう。漫画のクレヨンしんちゃんにはいくつか番外編で採用された作品(むさえ編・少年剣士しんのすけ編など)もあるので全体の割合としてはよく分からないが、原作者不在により話数を確保する必要はありそうだ。

あるいは今回選択したパロディの性質上海外市場を想定した作品を作る目的があったのかもしれない。
X-MENの人気作品に限らず、海外作品は筋肉たくましいキャラクターやリアルな描写が好まれる印象があるが、海外のアニメ作品ではサウスパークパワーパフガールズなどもあるのでシンプルな画風も受け入れられるには違いない。(サウスパークは表現がきつすぎるので従来のアメコミと比較できないが)

もし海外市場を想定している場合、作品の表現を大げさにしたり、ポップな雰囲気に仕立てる場合があるかもしれない。クレヨンしんちゃんの画風はシンプルなのでリアル路線には限界がある。であれば話の内容で引っ張る必要があるが、低年齢向けという事であればあまり内容を凝らなくても良い気がする。

20周年を迎えたクレヨンしんちゃん。臼井氏はもういないが国民的な作品としてこれからも良い作品を出していただきたいものだ。



↓間違ってもこんな事にはならないだろうが…(単発なら可) 
  shinmenreal

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2009年10月31日 (土)

クレヨンしんちゃん 『しんこちゃんたびたび登場だゾ』考察(2009年10月30日放送)

去年の12月から今年の4月まで継続してしんこちゃんの続編が放送されてきました。4月の『さいごの? しんこちゃんだゾ』の回で正体を明確にしないまま謎を残すような終わらせたのだろうと思ったのですが、またしんこちゃんが出てきたようです。せっかくなのでまた少し気になった点など考えてみようと思います。(以下、だ・である調で記述します。)

しんこが未来から来たというのはほぼ確実としてもよいとも思うのだが、まだ正体が分かったわけでは無く、しんこのキャラクターの設定によっては未来でなくても説明がつきそうなのでその点はまだ少し保留しておきたい。 (個人的なひねくれた考え方をすれば過去からでも構わないし、同一線上の過去未来でなくても良い展開もあると思っている。)

さるお方

あの方の招待は喫茶ラベンダーの店主なのかもしれない。しんこが口にした「あの方からのメッセージ」に関連して店主が「メッセージが伝えられて良かった」と答えている。「私のメッセージが~」と述べてくれればラベンダーの店主=あの方で間違いないのだが、一応まだ別に“あの方”がいる可能性は残しておきたい。
あの方という言い方からして敬意を払っている人か、ただしんこの言葉遣いが丁寧なだけのどちらかだと思うのだが、しんこと店主はわりと親しげに話している。正体は分からないが野原家の事で何か気にかけているようだ。

整理整頓させる理由

しんこ(と言うよりあるお方か)がみさえに整理整頓する習慣をつけてもらいたかったのだと素直に考えてみると、整理整頓を行わなかった為に起こる不都合は、探し物が見つからなかったり、みさえや家族が体を壊したりする事態が考えられる。

探し物が見つからないという理由では話に関わる重要な物も出てきていないので今の所ないだろう。体を壊す理由については野原家の押し入れは開けるのも躊躇われるほどの魔の空間と化し、毎日布団に押しつぶされる危険を冒しながら上げ下ろしに苦労している。体の不調を訴える事が多くなったみさえ(とはいえ29歳)にとって事故と隣合わせの生活だ。1月23日の放送でひろしを事故から助けた事があるので、それなりに納得できる理由に思える。

ダジャレの多用

今回はダジャレが多かった印象がある。しんこちゃんのダジャレに対して正しい用法を教えた時も1場面で済む場面をわざわざ意味ありげに2場面も使っていた。(寄る年並には勝てない・お久しぶり)製作者がダジャレに意味を持たせるなら“せいりせいとん”をダジャレ的に解釈させたいと考える事も出来るが、適当にダジャレに置き換えたところでしんこちゃんにとって意味のあるメッセージにならないし、“せいりせいとん”のダジャレも考えにくい。
“布団”なら「布団が吹っ飛んだ」、“囲い”なら「隣の家に囲いが出来たってね」「へぇ~」のように分かりやすい解釈も出てこない。そのような遠まわしなメッセージの伝え方をする理由があまり考えられない。使われたダジャレの法則を適用して見ても同様だろう。
少なくとも言葉遊びとか謎解きということでなければほぼ文字通り“せいりせいとん”と読んで良いのではないかと思う。個人的にはダジャレはあまり気にする必要はないと感じている。


よるとしみなにはかてない→よるとしなみにはかてない(文字を入れ替え)
おさしみぶり→おひさしぶり(刺身とぶり)
こもろがえ→ころもがえ (文字を前後に入れ替え)
ろーばはいちにちにしてならず→ろーまはいちにちにしてならず (一文字別の文字に入れ替え)
それもありーむねあかおおありー(有りと蟻)

今後の展開について

ここまでしんこちゃんの回が何度も放送されてきたが断定的なことはほとんど分からない。しんこちゃんの意図が読み取れそうな場面がいくつかあったものの確定的なことはほとんどない状態だ。色々な創作が出来る余地はまだ十分にあるのでまだ何かを即断するには早い時期かと思う。製作者側は謎を残したままに終わらせるつもりがないことが分かったのでまたしんこちゃんが出てくるだろう。
わんやく機やシロに似た犬(シロの子供だろう)の登場で技術の進んだ世界からやって来た事が判明した。まるでドラえもんのようだ。実はしんこちゃんに一定の目的がなく準レギュラーキャラとしての地位を獲得すれば野原家を便利な道具で手助けしたり、別の世界に誘う案内人となってくれる事があるかもしれない。しかし、そのような展開が多すぎてしまうのは好ましくない。
クレヨンしんちゃんは日常の生活の中から笑いを取る作品だ。SF的な作品を出す事もよくあるがその頻度が多すぎると日常の毒気ある作風が損なわれたりしまいかねない。未来からの道具が使用できるようになればありえない展開も容易になる。準レギュラーとするなら補助的な役割に徹させるべきだろう。

11月13日の予告(11月17日追加更新)

11月13日の放送の予告にてしんのすけはしんこと酢乙女あいが似てると言っていた。言われてみると髪型などよく似ている。顔つきも似てはいるが元々シンプルな描き方をなので似ている理由にはなりにくいだろう。
また今後の展開によってはしんこの役割はあいと似てくることもあるかもしれない。話は少し変わるが『こちら葛飾区亀有公園前派出所』の両津が作品で無茶が出来る理由は金持ちの中川や麗子の財力に頼る事も大きい訳で、両者がいなければ作品の幅はやや狭まってしまった事だろう。これと同様に金持ちとしてのあいちゃんの役割も作中に何度かあったのだと思う。

似ていると言う事はしんこと酢乙女あいは血縁があるということなのだろうか?その場合は酢乙女あいの親戚とかではこれまで野原家に関わってきた説明が付かないし、面白みに欠けてしまう。あいがしんのすけが好きな事から自然としんのすけとあいの子供では?という考えが出てくる。

しんのすけの結婚相手に近い相手はあいちゃんだろう。ネネちゃんはまさおくんと鬼嫁と尻に敷かれる亭主の構図ができてしまっているし、しんのすけは普通に女性が好きなので同性と結婚する事はまず考えられない。年の差カップルは珍しくはないがまだ幼稚園児のしんのすけを恋愛対象にする女性はいないだろうし、あいちゃんなら恋愛の対象としては適当である。
とは言えしんのすけが大人になった場合は浮気癖の多い男になっていそうなのであいちゃん以外の子供でも説明は可能な場合もあるだろう。

しんのすけはななこが好きではあるもののななこからすれば可愛い弟のような感覚で接しているはずである。しんのすけの今後によっては結婚する芽も十分あるが現時点では年齢差もありやはり恋愛の対象にはなりにくいかもしれない。


その他に気になる場所がなかったわけではないのだが、既に予測が出ている事であったり、重要な部分として読み取れない部分はあえて取り上げていない。少し補足とする点として犬のジュニアがひまわりの耳にくっついた時に痛がった場面はジュニアが直ぐに喋った事からわんやく機が耳に当たったと考えられる。また気になった点などあれば加筆修正など行っていきたい。 
 
 

あまり関係ない話

しんこがみさえに指差した場面誰かに似ていると思ったら細木数子の地獄行くと言ってる場面に似ている。比較用に画像を置いてみる。確かにしんこは占い師とか予言者みたいなことを言っている。


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2009年9月22日 (火)

臼井儀人氏死亡、事故死への疑い

失踪をしたと言うの記事を読んで知っていたが想像したくないことが現実になってしまった。
しかし死亡するには疑問が残る事がある。
他の方のネット上のコメントなどを見て気付いたのだが「荒船山に行く」と告げて失踪して死亡するまでの過程を聞くと事故死したかのような印象を受けてしまった。確かに状況を考えると自殺か事故と考えるのが妥当ではあるがテレビやマスコミに偏向に警戒心があることや、ただの一般人が死亡した事とは訳が違うのではという理由もある。他殺により殺されたと仮定して少し考えて見たいと思う。(※以下はあくまで仮定の話です。)

遺体発見現場の地形

ネット上の新聞社などの記事によれば荒船山(1423M)の崖下120Mで遺体が発見されたと言う。私自身ニュースを聞いた同時期に偶々山に登る機会があったのだが、山にもよるが人の手によって人一人担いで登るのは現実的ではないだろう。ヘリ等を借りるなどして現場上空から落下させる方が状況を作るには現実的だと思うが大掛かり過ぎる。登山者の眼なども考えると別の場所で殺害されると言うのは考えにくいだろう。
現場で殺害されたとなれば家族や本人から山に行く情報を伝え聞いて待ち伏せか追跡により殺害する事は可能かもしれない。遭難の可能性を冒してまで登山道を外れて行く事は無いだろうし、登山客を装って背後から突き落とす事は出来るだろう。

警察の対応

警察の調べをすべて肯定すれば遺体は臼井氏であり、他殺を考える余地はないかもしれないが、高知白バイ衝突事件のように有力な証言や状況が提示されながら有罪になってしまった事例などでは警察の調査の捏造疑惑が話題になった。根拠と言える程ではないが、ただ警察の言い分を疑う余地が場合によってあるのではないだろうか。
状況が事故死と考えられる要素が多いとは言え、警察による他殺の可能性を早い段階で否定されてしまっているのには少々違和感がある。有名な方が不幸な死を遂げる事はよくあることだが、ただ今回の死亡をそれと同列に扱ってよい事なのだろうか?

誰が得をするのか?

『クレヨンしんちゃん』は海外でも人気の高い作品だ。中国側で商標権で争っていた。時期的にBALLADが好調でもあり金銭的に中国側で利益を得ようとする人々は面白くなかったかもしれない。人気作品であるので日本以外でも相当な収入が見込めるのは間違いないことだ。
訴訟を争っているのは双葉社なので臼井氏本人を殺害して直接中国側の販売がどうこうなるとは思えないのだが、単純な怨恨で殺害をされるか、中国側の何者かからこのまま『クレヨンしんちゃん』で利益を得るようならただでは済まさないと言う脅迫か警告の意味が込められているのかもしれない。
『クレヨンしんちゃん』もそうなのだが著作権や商標争いで中国・韓国と日本は争う事が多くなっている。もし今回の件が他殺ということであれば著作権・商標権などに関する全般への脅迫・警告と考える事もできる。
直接の動機に結びつくほどではないかもしれないが作品の性質上子供に見せるのに相応しくないと思っていた人たちも得をしたと見ていいだろう。
また他の記事などにコメントをしている方では酒井法子の出来事など含めて別に注意をそらす目的があるのではないかと考える方がいた。

著作権・商標権争いは日中韓の外交においては避けて通れない事柄でもある。外交上の障壁と考えているなら政治的な意図が入る余地も若干は出てくるだろう。

横道にそれてしまうが民主党政権は中国・韓国寄りの政権だ。韓国民潭は民主党に対して外国人参政権を得る要請を行っていたし、小沢氏は中国と関係を強化している。鳩山氏は「友愛」と言う言葉を用いて外国人が流入しやすい状況を作ろうとするだろう。ここ最近で9月20日の新聞記事では民主党は戸籍制度廃止をめざす議連が発足を予定しているらしい。

日本は地理的にも中国や韓国からの犯罪の数は上位に上り、日本と関係を深めると言うことは中国の肥大する人口や北朝鮮難民の受け皿、韓国経済の救済、中国資本による日本の企業の買収と技術移転、移民や参政権付与、日本国籍取得による日本経済の実質的乗っ取りなど不安要素が多すぎる。中国や韓国は一筋縄で付き合えない国なのは日本人なら誰でも理解できる事だ。
移民については無条件に大量に入ってくると賃金の低下、文化的な衝突や対応に国民が苦労することだろう。恐らくはウィグルのような状況になると見て良い。

ウィグルの問題は人権問題だが、民主党の今後の方針次第では日本は権力による人権侵害が行使される恐れがある。そして多くの人が犯罪者として逮捕される恐れがある。
以下の記事では民主党は人権侵害救済法案を提出しており、人権擁護法案より危険な法案であると述べられている。その他にも民主党政権の危険性などにも触れられている。
日教組の「悪法支配」を許すな(1)/八木秀次(高崎経済大学教授)、三橋貴明(評論家・作家)
外交政策について個人的な考えを言えば日本にとって油断できない中国や韓国とは一定の距離を保ちつつも、台湾やフィリピンなど中国の周辺諸国と関係を強化するのが良いだろう。
個人レベルの付き合いは構わないが外交レベルでは中国と韓国は日本にとって害ばかりしかない。健全なアジア経済圏を構築その他のアジア諸国と協力して均衡を保つ意味で包囲網を形成するのが望ましい。

今回の死亡は大変残念なことだ。もう原作者本人による新しい作品を永久に見られなくなった事に寂しさを覚える。本当にただの死亡事故で済ませてもいいのか少し気掛かりだ。
ここまで成長した作品なら作者の手を離れても放送を続ける事は出来るだろう。今後の作品の継続を期待したいと思う。

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2009年6月19日 (金)

児ポ法、ゲーム規制、守るべき物は何か?否定的語感による誤解

ネット上でこれは痛いと思わせるニュースなどを取り扱っている『痛いニュース』にてこのような記事を取り上げている。
学園モノ・妊娠・人外も?陵辱系だけにとどまらない「エロゲ規制」

18禁ゲーム、エロゲーなどと呼ばれている性的描写のあるゲームなどの事で、あらゆるジャンルの物が発売されている。このアダルトゲームの審査機関のソフ倫という団体が上記のジャンルを規制の対象にしようとしている。
関連する話題としての詳細では下記のリンク先のほうが詳しい。
特集 それって本当に、子供を守るための規制ですか?

しかし、この種の作品の規制の筆頭としてよく名前の挙がる野田聖子議員の勉強会に行った人の話では以下のような内容になっている。児童ポルノ法案による作品の規制があったり、今回の件と同様に考えるものだろう。
何がおかしいのか少し考えてみたい。

凌辱ゲー全規制対策 政治系対策本部7

249 名前:名無しさん@初回限定[sage] 投稿日:2009/06/14(日) 18:56:22 ID:BsMKOzOJ0
詳しくは書けないけど。いわゆる規制派の集まりに顔出してみた
次はとくに制服や学校や野外での性行、
その次は結婚してないカップルの妊娠や不倫ものをターゲットにしていくらしい
最終目的はエロゲを根絶して、それを実績にして
エロゲの次は漫画を規制していくらしい。聞いてて吐きけがした。
本当は凌辱ものの規制で簡単に膝を屈してはいけなかったんだけどな
何で日本や漁業団体がが何十年も捕鯨反対にこだわるか考えろよ
捕鯨禁止が完全に達成されたら次はマグロやその他の魚が
またやり玉に挙がるに決まっているからだろ。

エロゲ業界人の愚痴 その94

58 :名無したちの午後:2009/06/13(土) 21:56:01 ID:8Gh0kDS20
既に野田の勉強会は、陵辱系ゲームに留まらず、18禁ゲーム、暴力、殺人描写のあるゲームやアニメ
の規制案も作って居る。済まんが特定される危険が有るためソースは出せん。ただ、コレは事実
純愛厨にも危機感持って貰えるよう、一つだけ規制案を挙げると
所謂、中学、高校を意識させる様な「学園」「制服」系統も規制視野に入ってる。
規制内容としては、学園内でのセックス描写、制服含んだセックス描写なんかが全規制対象になった。
無論、パンチラ、乳首の描写も規制対象。
無論これは「今のところ」18禁ゲームのみの対象だが、ゆくゆくは、少年誌や少女誌のそれらも規制対象になる予定。
今のところ助かっているのは、自民と民主での児ポ法内容が対立しているのが唯一の救い。
これが議員立法とかで通れば、後は総崩れで2次元物に全規制がかかる。

児童ポルノ法案、語感に潜む落とし穴。その実態は

性的なものが苦手な人にとって性的嗜好が理解しがたい面があるのは間違いが無い。私自身もアニメや漫画、ゲームが好きだし、(玉石混交なので一括りにするべきものではないが)性的描写を含むものも好きな物がいくつかある。それでも未だに理解したくない嗜好もいくつか存在する。

理解がない方々がそれを見ればどうしても軽蔑したり偏見を持たれるのは仕方が無いところがある。しかし、そんな個人の主観的イメージがあったとしても絶対的に悪いと言うことにはならない。個人の価値観に合わないだけで排除する理由にはならないし、人に迷惑をかけていなければ問題にもならない。
排除や規制しようとする一般の人には嫌悪感で動いているのがほとんどといって良い。そうでなければ特定の団体との利益関係などで動いている可能性が高い。 その理由は簡単で反対する主張に正当性がどこにもないからだ。

通常なら“子供の売買春=犯罪・社会に対して悪”でなければおかしい。しかし、規制派はこれが“性的嗜好→(或いは=)犯罪・社会に対する悪”となっている。要するにすぐさま犯罪者か犯罪者予備軍的扱いという論理の飛躍が起こっている。
ユニセフが主張しているのは実在の子どもの人権であって、規制により創作された作品のキャラクターの人権や待遇改善をして一体なんになるのだろうか?ユニセフが出る幕は本来無いはずなのだが、“子どもポルノ”“児童ポルノ”など類似の単語の乱用がいかにも関連性があり、犯罪を助長しているかのような誤解を招いて理解を難しくしている。

「何故排除しようとするのか?」という本質的な疑問に対して明確な回答をする人は議論の場ではいない。多いのは個人の嫌悪感に起因する偏見(キモオタ・病気など)の感情論を言う人が多かったのも中身が無い事を裏付けていると言える。万人に対して具体的な効果すら想像できない規制などどれほどの効果があるものか。逆に経済的、娯楽的、製作者的、もっと言えば治安的にも有益な事の方が遥かに多い。

このような規制推進する人々は意図的に性的嗜好やセックス産業、引いては広く創作活動に対して一般的な偏見と言葉遊びを利用して規制を推進しようとしているのだ。

性的嗜好の差別的否定

“実際の成人の男女が結婚、子供を作り幸せな家庭を作る。”それが正常で健全な関係だと言われればそれは間違っていはいないだろう。しかし、生涯で誰しもパートナーを見つけられる保障はどこにも無く、同性が好きな人もいるし、結婚を望まない人もいる、幼女や少年しか愛せない人もいる。実在の人間を愛する事すらかなわない人もいるのだ。
それでも抑えられない性的欲求が誰にでも存在して、現実に満たされないから代用品を用いては、妄想を膨らませて欲望を満たす。名も無い人々のささやかな楽しみになっている。
これは極めて自制的な理由であり、犯罪に結びつくというのは数字から見ても早計である。

いかがわしい団体日本ユニセフ協会

日本ユニセフ協会は「なくそう! 子どもポルノ」運動を展開しているが、“児童ポルノ”と“子どもポルノ”の定義が違う上に、直接は売春が行われる“子どもポルノ”は数字としては実数は圧倒的に低いにもかかわらず、実態のある売買春と性的描写の有る作品を結びつけて、関連する作品を規制しようとしているのだ。

またこの日本ユニセフ協会と言うのは本体であるユニセフ(国際連合児童基金)から直接信託されている団体ではない事、25億のビルを新設したり、活動経費として25%留保できることからユニセフの名を借りた営利団体としての側面が強い。

政治家がユニセフと共謀して、無関係な善意の人を巻き込んで利用しているとするなら信頼を裏切る背信行為だ。ユニセフの主張により児童ポルノ規制に対する一般の理解が曖昧になってしまっている点は見逃す事が出来ない。

野田議員については「振られた男性議員の腹いせにやっているのではないか?」とか掲示板にて言われていたが、真偽はともかくマンナンライフのこんにゃくゼリーの対応にしても政治家としての判断が一般人以上に信頼できない事は既に露呈している。
普段の審議であれほど話が進まないのに、内容に問題があったり、批判の多い法案に関しては異常な行動力と執着心を見せる政治家とは何なのだろうか?

このような規制には一般作品の規制も視野に入っているので性的描写などの有無などは無関係に創作された作品を楽しむ事が好きな方は署名TVなどで署名されるか、規制を推進している議員を投票によって落選させるのが賢明だろう。

青少年保護の観点からしても異常

とかく子供には有害情報に触れさせない方が良いという考え方がある。しかし、性的表現のある作品を除いても有害な情報は至る所にある。テレビなどは子供に限らずその最たる物の一つだ。書店に行けば無数の雑誌が置かれている。インターネットで色々な情報を引き出す事が出来る。氾濫する情報を隠し通すことなど不可能だ。規制して取り締まる事自体がナンセンスな話だ。
年を取れば子供だって大人になる。大人になれば子供に見せられない事をするのは当然だ。それなら将来触れる事になる沢山の有害情報とやらに慣れさせるた方が遥かに有意義で簡単な事だ。

どうして自分という人間が存在しているのか考えてみれば、性的行為によって人間が生まれたと言う事が分かるだろう。そうなると子供がいる家庭で子作りをする場合は、子供の目を考えて一切性交を断つか、子供がまったく目の触れない場所で性交をしないといけない。有害と言うのならば全方位的に気を配る必要があるはずなのに、性的な創作作品ばかり狙い打ちにするのは変な話だ。

変態的な作品や嗜好であってもそれらは住み分けを考えて販売されている物で、現実の売買春とは違い仮想的な妄想を追体験しているだけに過ぎない。アダルトビデオなども仮想的追体験と呼べるので行為としては全く変わらない。

性的嗜好・変態性は悪い事ではない

性的な話は口に出して言い出しにくい恥ずかしい事だと言うのは理解できる。悪く言う人もいるだろう。しかし、罪を犯したとかと言う話ではないのだから萎縮してしまう理由などまったく無い。いくら批難されたところで中身の無い感情論以上の事は言われる事は無いのだ。自分が必要と思うからやってるわけだから無視して構わない。 人それぞれ色々な違いがあって当然だ。 変態的行為と思われてもやってることは単なる自慰行為に過ぎない。

極端な仮定の話

健全な話しか出来ないとなると創作の分野は終わってしまいます。あらゆる不健全が排除され規制されると仮定して考えて見ます。例えば勇者達が悪の魔王を倒す話があるとしましょう。 (少し不真面目ですが)

・暴力的な行為が出来ないので、剣で斬ったり、流血表現はありません。

・性的なシーンが駄目なので女性は出てきません。女性を出さない変わりにキャラクターはみんな男になります。肌の露出は性的欲求を感じさせるので全員に肌を見せない衣装を着させます。もちろんサービスカットなんてありません。

・美しいキャラクターは性的興奮が刺激されるので顔はみんな不細工になります。登場モデルは全国の日本国民からアンケートを取り最も性的欲求を満たさない不細工な顔のモデルケースを設定します。

・敵との対決シーンは長期化すると読者に苦痛な描写が増えるので簡潔かつ1ページで終わらせる事、なので新しい敵キャラでも簡単に決着がつきます。

・健全な書籍には必ず教育的側面を盛り込む事が義務付けられます。ですので親孝行で母親に対して「平和を守る為に戦争もしないよ、自衛隊も核も持たないよ♪」言うてる息子(子供はNG、顔は不細工)を出します。教育的側面を作品に絡める必要もあるのでとりあえず親孝行な息子を勇者にします。

・暴力的シーンが描けないので戦闘は頭脳戦か説得して和解する事になります。なので勇者は魔王にチェスの勝負(スポーツ等も可)を申し込みます。

・魔王は簡単に説得に応じませんので説得を済ませてから出ないと勝負が出来ません。頭脳戦が可能ですが魔王も人格を持っています。不健全に欺くことなく魔王の心が傷付かないように穏便に説得します。

・チェスに勝った勇者は倒した魔王が改心したのだと信じてもう戦争をしないよう約束をしましたが、数日するとまた人々を襲い始めました。穏便な戦いと説得を武器にまた勇者は旅立ちます。裏切られても相手の善意を信じて信じて信じまくります。相手の善意を信じられないのは不健全です。人と人が信じあえる関係は素晴らしいのです。

相当極端ですがこんな話は成り立つはずがありません。極端に規制されれば通る話も通らなくなる事もあるでしょう。 人物背景や設定などは物語を機能させるために必要な事もあるかもしれません。華が無いと面白みに欠ける場合があるでしょう。
例に出した暴力的表現の規制もどこかで聞くような話だと思いますが、極端になるとスポーツや格闘技を取り扱った作品はまったく取り扱う事すら出来なくなります。リアルな劇画作品なども出す事は出来なくなります。

対岸の火事ではない?創作分野の危機

一般の作品でも色気の有る作品はあります。曖昧さを利用して拡大解釈を進めては規制を強める可能性が強いのでこのまま行くと日本の創作分野は壊滅的な打撃を受けることになるでしょう。
どんな作品でも創作する事は相当な時間と労力を必要とするものです。それが明確な理由なく安易な規制で創作の妨害をしていいものではありません。
一連の規制運動は一部の人々の問題ではなくアニメや漫画など広く創作分野に対しての規制を進めていると考えるべき事柄なのです。 創作作品にまで規制が及ぶのはあまりにも短慮で行き過ぎた行為です。

その他参考
反ヲタク国会議員リスト
署名TV:同人ショップやゲーム販売店に過剰な自主規制をせず多様な作品の販売を求める請願
署名TV:架空創作表現規制禁止の法制化を求める署名
保坂展人と語る、マンガ規制・ネット規制の今(1)

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2009年5月14日 (木)

とらドラ!視聴後の感想など

当初この作品について全くの知識がなかったのだがニコニコ動画で見たインコと女の子(櫛枝)の動画のインパクトが強かったので、アニメ作品に興味を持った。実際にその印象を裏切らない出来だった。
前半の明るいムードから変わって後半は少しばかり修羅場を迎える。常に明るい櫛枝の態度の変化は緊張感を高めていった。

個人的な人物に対しての印象や短評

とらドラの登場人物にはいくつかの人物設定がされているが、主として作品の中核をなす人物設定はないように思う。豊かな人物設定を作る上で数ある設定の一部か後々の伏線を張る保険的な意味で利用されているのではないだろうか。

展開について
青春時代の愚かさや未熟と向き合い、将来を選択していく大事な時期が高校生活だ。大学に行けば猶予期間が得られるものの、脆くも甘酸っぱい感覚というのは多くの人々が体験する高校時代において最も共感を得られる時期だ。学生時代と恋心の締めくくりとして“本当の気持ちから逃げない”“人生を逃げない”といったメッセージとして最後に繋げている。
学生時代を舞台にした作品でリアリティーを出すには友人達との日常関係の積み重ねが重要だが、そのような馬鹿馬鹿しくも不器用な日常がよく出ていたのではないだろうか。
生活感有る現実的な場面も適度に盛り込まれており良い話になっている。一言では言えないが言葉の的確さとか、場面の色使いとか絵作り、現実的な問題などリアルな要素を入れるほど作品に奥行きが出るものだと考えている。

執筆中急に思いついた言葉だが、高校生活とは“夢と現実の狭間”にある空間ではないだろうか。
社会に出て分かる事だがこれほど賑やかな空間で共感を分かち合える場もない。決して学校生活いい事ばかりではないがこの感覚は得がたい。

恋文よって高須と逢坂の接点が出来たは良いが両者の付き合いが異常に緊密だったと言う印象を受ける。序盤の竜児の「虎と並び立つものは昔から龍と~」というセリフには会って間もない筈なのでかなり違和感を覚える。恋の告白と受け取ってもおかしくない発言だ。
福男大会の展開はとちょっと急すぎたし、雪山救出の場面はその場で見つけられなかったのか?という少し疑問に残る場面など少しある。小説からアニメ化する際の兼ね合いとか時間の長さの問題などが幾分あるのかもしれない。

プレゼントの髪留めを逢坂がいつのまにか渡してしまったのは少し良く分からない。プレゼントを渡すなら竜児本人の手によって渡さないと気持ちが伝わらないからだ。プレゼントを渡す時期を過ぎてもプレゼントに関連する話を続けられるので、一つの保険的な役割のようにも見えた。

■高須竜児
家事全般が得意で父親譲りの人相の悪さで不良扱いされているが、優しく世話好きな側面もある。櫛枝に対して恋心を抱いている。

友人やパートナーとするならかなり大変頼りになる存在、何でもできる上に優しく真面目なので安定感は相当なものだろう。
当初から大河とかなり緊密な付き合いをし始める。不良と思われることでであまり浮いている感じがなく、恐れられる背景が少し薄い。それぞれの家庭の抱える一事情としてはありなのだと思うが、大した意味の有る設定なのかは疑問。櫛枝との恋愛感情を発展させる付き合いが不足していたように見える。

■逢坂大河
通称“手乗りタイガー”として周囲に恐れられており、広いマンションの一室を親からあてがわれ一人で暮らしている。父親に対しては寂しさと怒りを持ちつつも、家族としての愛情を求めている。

竜児ら高須家との親しい付き合いが良い。近すぎるとは思いつつも遠慮なく物を言い合える関係はいいものだと思った。
上記同様あまり浮いていない。北村に告白された事は意外性があり生徒会長の話と合わせる事で重要な意味を持たせられたと思う。また上記同様で北村との接点は何度か作られるものの竜児との場面が多く、北村との関係の進展が見られない。

■櫛枝実乃梨
豪快でハイテンション、暗いところなど微塵も感じられない底抜けに明るい不思議キャラ。学校とアルバイト、二足のわらじもきっちりこなす責任感を持っている。ある目標を持っているために努力している。

とにかく面白い。こういったキャラいいですね。作中1・2を争う脇役ではないかと思う。こういう笑いのセンスは正直うらやましい。ムードを引っ張るだけあって弱気な所や普段見せない顔をみせるとちょっといい意味でビックリする。
彼女の明るさは暗い部分を覆い隠す演技が含まれている様に見え、まだ作中でドロドロした過去を出し切れてない印象がある。
大河の父親が来る事を知った時に彼女の知られざる過去が見えた気がしたが、以前同様の出来事があった為と言う事で当てが外れた。竜児と喧嘩した後で大河に対して父親に対しての注意を促せたのか気になる。

■川嶋亜美
高校生でありながらモデル業をこなし、他の登場人物に比べ大人びたところがある。北村とは幼馴染み。

姉さんみたいな存在がいるといいものだ。身近に頼れる人間が何人か要るだけで安心感が違う。顔つきが生徒会長とよく似ているので、始めは同一人物だと思ってしまった。北村と幼馴染みという設定があまり意味がなかった様に思うので、無反応な北村を叱ったり、揺さぶる役割が少しはあっていいのではと思った。

■北村祐作
見た目も悪くなく頭も良いので女子に評判が良い。だからと言って静かにすました態度を取るのではなく馬鹿騒ぎも得意。イベントなどでも積極的に場を盛り上げる。露出好き。

彼は最も無責任を決め込んでいたんじゃなかろうか。序盤から大河を振って良い友達宣言をしたので役割は終わったと言えば終わっているが、片思いしている女の子達へはきちんとした態度は示せてない。大河に告白したエピソードは意味が無いと感じていたが一応繋がったのではないだろうか。

ところどころ気になる所があったのは確かだが、総合的に見ると見るべき点が多かった。特に櫛枝実乃梨のキャラは相当に面白いので一見の価値はあるだろう。

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2009年2月28日 (土)

クレヨンしんちゃん 『またまた しんこちゃんだゾ』 考察 (2009年2月27日放送)

前回のしんこちゃんの記事はこちらになります。
通常のクレヨンしんちゃんは一話完結ですが去年から3度も回が続くのは珍しいですね。製作スタッフのテロップが最後に流れますが、どの作品でも脚本を中弘子さんが担当されています。Googleで調べたところ『ガタピシ』・『陽あたり良好!』・『D・N・ANGEL』・『きんぎょ注意報』・『魔人英雄伝ワタル』などその他色々な作品で脚本をされているようです。

今回見て個人的に気になった所は以下になります。括弧はそのように考えた簡単な理由となります。

・不特定多数の人間としんこが接触している(未来から来たと仮定すれば軽率で気にする様子もありません)
・未来を知っているかのような発言をするしんこ(同上)
・しんこが登場する場所の近くにはトイレがある(公園や人が集まる所なら大抵はありますが一応)
・トイレと思われる場所から画面がズームアウトする(下記画像①参考 位置関係など分かりませんが恐らくトイレでしょう)
・排泄する場面が多い(この作品では日常的ですが、幼稚園に遅れた主な理由の一つです)
・おもちゃの露出が少ない(前・前々回の作品と比べてあまり重要には見えませんでした)
・「過去の女は忘れて」発言をするしんのすけ(彼らしい自然な発言ですが、一応はしんこの話題に関連していそうです)
・しんのすけの絵を注視するしんこ(意味ありげな場面が気になります。)
・前・前々回と同様しんのすけと似た発言が目立つ(今回は園児達との会話でしんのすけらしさがかなり出ています)
・前・前々回と異なり言い間違えがない(園児らとの会話でも言葉を選ぶ様子がないので)

※・みさえの「あたしだよぉ~」発言(関係ないと思いますが芸人のにしおかすみこのパロディーのようです)
画像①(左は映画『クレヨンしんちゃんヘンダーランドの大冒険』:右は今回の作品)
snapshot20090228005911

まとめると以下のようなことがあります。(以下文中でしんこを彼女と記述します。)

今回のしんこの目的

少なくとも前回ではひろしを助ける為と言う説明ができました。しかし今回に至っては大きな意味が感じられる分かりやすい出来事は殆どありませんでした。

彼女が今回やってきてやった事と言えばいきなりしんのすけの幼稚園にやってきて遊んで、そして園児達に疑念を残して去っていただけです。大したことはしていませんが、特にしんのすけの絵に興味を持っていた場面は気になりました。見ただけで多分持ち帰ってもいないでしょうし、ただの絵にすぎません。無理やり無茶な設定を考えれば絵に特別な価値を持たせられますが、自分の作品でなければ行き過ぎは邪道でしょうね。いえ、返って邪道的の方がいい場合もあるのかもしれませんね。

絵を見ることのみで良ければ絵を描いたしんのすけに特別の感情を持っていたために注視したのだと思います。しんのすけと会う機会は当然なかった彼女は一体何を思いながら見たのかと思います。

立派な目標があるのではと考えてしまうと簡単な理由で来た可能性が考えられなくなります。意外としんのすけの作品を見るついでに幼稚園を楽しみたいと言う気持ちでやってきたなんてこともあるのかもしれません。

トイレの関係

いつものようにしんのすけはバスに遅れます、ひまわりも便意をもよおすのも珍しい事では有りません。しかし、今回はただの生理的現象だけではなかった気がします。偶然が重なった事も考えられますが、そういえば1話目ではトイレの水が流れるとで姿を消していました。おかしな場面なのに結論づける機会を逸していました。2話目でもトイレの音がして現れましたし、3話目だとトイレの音がしてから出てくることはないものの彼女自身がトイレに行ったり、排泄に関する表現も多かったです。
トイレに関連する表現を3話も続けてきたのは偶然ではなく必然であり有力な共通点となるでしょう。最後にトイレと思しき場所からズームアウトしたのは重要性を示す効果がありました。

タイムパラドックスについて

Wikipedia:タイムパラドックス→時間旅行による過去の改変により現代の事象も影響を受けること。

時間移動するには過去に戻ると過去を変えてしまう危険性を考えて、過去の人間に会わないように未来人が気遣うのをどこかの漫画で読んだ覚えがあります。彼女は幼稚園に来てわざわざそのような危険ともとれる行動をとったのは何故でしょうか。
作品を作る事を考えると未来人が過去に影響を与えると未来が壊れると考えると作品としては物語の広げようはなくなり、逆に運命を切り開いてくれる物と考えたほうが考えも広がりやすいのではないでしょうか。
相変わらずしんのすけと会うことがありませんがそれほどに影響を神経質に捉えない方向で作品が進んでるのではないかと思います。

しんのすけの孫や子供などは可能性は別に考えていた所がありますが、自由度が高いとなると可能性は高まります。以前読んだ『パタリロ!』と言う作品ではパタリロの孫や先祖は髪型や服装の違いだけで姿かたちはそっくりでした。性格も小銭集めまでは似てるかは分かりませんが、そこそこ似てたかもしれません。もっと単純で良いなら『おそまつくん』みたいに大量生産してもいいでしょう。
今回彼女はしんのすけ的な傾向を強めた事もありそこまで行かないのではとも思ってもいます。少し話はずれますがしんのすけらしいと断定できる部分では風間君に息を吹きかけたり、耳をあま噛みすればよりしんのすけである決定的な理由となったでしょう。

詳しくはないのですが『ドラえもん』でも未来から来たネコ型ロボットやのび太の子供や孫達が出てきます。無数に有る漫画やアニメの中で過去に関わる出来事はあったはずです。と言いいますかドラえもんは積極的に過去を変える目的でやって来ている訳ですが。作品によって影響を考えすぎない物もあったりするようです。

作品を作る側は少なくとも見る側を考えて作品を作ると考えています。クレヨンしんちゃんが広く親しまれている作品である以上は極めて一部にしか分からないヒントや表現は避ける場合があるかもしれません。ですので極端に一般とかけ離れすぎることはないのではないでしょうか。この辺は作り手のバランス感覚によるんでしょうけど。
クレヨンしんちゃんはその点で親しみやすく色々考えるには良い作品だと思います。

演出上の観点

  押井守監督はラジオで演出は“引き算”(いくつかの例えの一つ)と言っていました。演出家は色々な演出を作品に盛り込みたがると尺が足りなくなり作業量が増えるので必要の無い演出はどんどんカットしていくとの事です。銃を抜いて決闘するシーンや容疑者が取調室で尋問を受ける場面などを例に用いて説明していました。 確かに銃で決闘する場面を考えてみると動きをスローにしたり、アクション一つを細かく描いたり、視点を変えたりと1秒間を10秒にする事だって出来ますね。 そう考えるとしんこの動作の数々は演出に分類されるのではないかと思います。

昔は無駄が多く情報量をあまり詰め込めなかったと言う事を言われていましたが。あらゆる作品の演出や定番の設定などにより演出量が軽減されたと言う事は実際あると思います。
例えば何かの作品で両手の人差し指を舌につけて頭の上でクルクル回すと『一休さん』のパロディだと分かりますし、格闘家が「あたた」と言えば『北斗の拳』とかブルース・リーのパロディだと分かります。剣士が対決して同時に一閃した後どちらかが倒れるか体や衣服に切れ目が出来て時間を置いて血しぶきを発生させたり、遺言を語らせたりと想像できたりします。
断崖絶壁で男女が話し合いの場面を見ればそれがサスペンス番組で、被疑者が犯罪を自白してそろそろ警察がやってきて逮捕されるか、自殺しようとするかもと考える事が出来ます。そこで安っぽい命の尊さを説くのもいいでしょう。
視聴者側もいつのまにか色々な演出の蓄積が出来ているおかげで演出の手間が省けるわけですね。

単純に考えて演出が意図する意味に導けなければでは演出とは言えないのでしょう。逆に関係の無い演出を連続する事で結末に到達させない演出もあるのではないでしょうか。話が変わりますが、過去実際にあった『三億円事件』では多くの意味の無い遺留品を残す事で決定的な証拠を見誤らせたと言う事があります。作品ではありませんがこれも演出という点で成功をおさめた例ですね。

今作でももちろんそのような演出的な意味を持たせるために意味ありげな映像表現をしていると考えてよいでしょう。しんこちゃんの話はしんこちゃんの正体を明かさない事で視聴者を引き付ける目的があるのだと思われます。作品中に意味のありげな表現を多く含ませる事で作品を盛り上げているのかもしれません。

正体を“謎”にして魅力としている作品と言えば、特撮物で窮地を助けてくれる謎の戦士だとか、『機動戦士ガンダム』のシャア、また少し種類が違いますが『水戸黄門』の水戸光圀、『美少女戦士セーラームーン』でもタキシード仮面、キャッツアイの怪盗姉妹などがあります。
前者であれば正体を判断すると生き別れの兄弟、クローン人間、サイボーグ、いつも喧嘩している知人等が思いつくのではないでしょうか。後者については見る側にとっての説明の必要はありませんが作中で正体が判明した時に何かしらの波乱を期待させます。
このように“謎”と言う部分を魅力的に見せるにもそれが“見る側に対して謎”なのか“作品の人物に対して謎”であるかで盛り上げ方は違ってくるようです。直ぐに思いつけばそれほど定着している演出方法や設定ということが言えると思います。

しんこちゃんに対しての多くの人が抱く最もな関心事は彼女の正体ですから、彼女の素性を判断する演出が行われている筈です。その点に限れば不可解な言葉やいかにも既知のように未来の発言を連発したり、野原家との接し方で彼女がどのような立場にあるか判断できます。目的を判断するにはしんのすけの絵を見る場面や作品の結果・場面の見せ方など、手段を考えるとひろしを喫茶に誘導したり、雲の出現やトイレの描写に分けることが出来ます。

分類方法として5W1Hで分類すると正体・出自(誰が)・目的(何を・どうして)・手段(どのように)・時間帯(いつ)・場所(どこで)のように相当すると思うのですが、場面のひとつひとつをどのように分類するかで整理する事ができるのではないでしょうか。分類できる項目も多いのでこの際一々細かく分類はしませんが演出方法を考えてみるのも作品の伝える意義を見出す方法ではないでしょうか。

次回予告に見る予想(3月20日更新)

3月13日の放送の予告にて4月3日の放送のシーンをいくつか見る事が出来ました。以下の次回放送の予告などを参考にしながら次回の予測を立てて見ようと思います。

クレヨンしんちゃん3月13日放送予告


またテレビ朝日のクレヨンしんちゃんの公式ページではこのように書かれています。

さいごの?しんこちゃんだゾ

突然しんのすけの前に現れた、謎の少女しんこちゃん!
しんこちゃんは、ひまわりが野原家の子供ではないのではと言い出し、
しんのすけと一緒にその真相をつかもうとする……!?

いくつか注目する点は以下になります。括弧は個人的な気付きなどです。
3月13日の予告(下記画像②参照)
・しんのすけとしんこが会っている(しんのすけと会う事自体に問題は無いと思われる。)
・雲が発生している場面が映る(トイレのある場所の近くであればトイレから出てきていると考えられる。)
・しんこが悲しそうに話をしている(シリアスな展開を予想させる。)
・おもちゃの場面が映る(おもちゃの重要性に含みを残している。)
公式ページ
・「ひまわりが野原家の子供ではないのでは」説明文(ひまわりに対して何かを知っているが確信的ではない。)
・「しんのすけと一緒にその真相を~(中略)~」説明文(しんこも真相については詳しくない部分がある。)
・“さいごの?”タイトルの付け方(終わるようでいてまだしんこちゃんの話が続くような含みが若干残っている。)

画像②
shinko0403yokoku01

3月13日の予告では重要な場面が出てきますが、悲しそうなしんこの様子は何か重大な出来事を知っていると予想できます。真面目なフリをして実はボケを狙う事もクレヨンしんちゃんには有りますが、今回は長く回が進んでいる事も有り多分シリアスな場面だと考えてもよさそうな気がします。おもちゃの重要性の余地もまだ残させているようです。

公式ページの説明では物語に重要な文言が並びます。ひまわりに関連する出来事で、しんこは或る真相について何かを知っているが完全に知っている訳ではない。しんことしんのすけの協力が予想されます。
ひまわりが野原家の子供ではないと言うのはどこから来るのでしょうか。みさえがひまわりを生んだ記憶が間違っているのか、改ざんされているのか、分娩で取り違えられたのか、誰かに赤ん坊を取り替えられたのか、それとももう少しスピリチュアルな意味で中身が違ってしまっているのかなど、いくつかの種類が考えられます。

しんこが時間を移動できる能力があると仮定すると過去に戻って自分で見に行く事ができます。真相を知るだけなら野原家と関わる必要はありません。それでも野原家に関わろうとするのは野原家の協力がなければ不可能な出来事があるか、しんこの心情的に野原家の人々に会いたいという想いも少なからず有るのではないかと思います。

細部にこだわらず個人的に少し大胆な予想をしていくとしんこは本当は生まれるはずだったひまわりであり、今のひまわりと本来のひまわりが入れ替わって育てられてしまう事態が発生したのではと考えます。(病院側の失敗や意図して取り替えたなどの人為的な事例か霊的・精神的な理由で間違って生まれてしまったかのどちらかではないかと考えています。)
未来から来たひまわりというのが定説化していますが、ただ個人的に違う点として現在とは別のひまわりではと考えているので、別の未来から来て、家族構成も違うかも知れないひまわりではないだろうかと考えたりもしています。
「おつむ入れ替える」と言う場面を指摘されていた方がいたと思うのですが、しんのすけが別の回で同じ事を言うのを見たような覚えがあり、演出上のヒントとうがった見方もできますが、普通に考えられる線としてはしんのすけのギャグの延長として捉える事柄ではないかと思います。

しんこが来た目的は回に分けて便宜的に仮定して考えると
“おもちゃ・事故・しんのすけの絵を見る事と様子見・ひまわりが野原家の子供ではない真相を探る”
と言った目的が考えられます。これらの回での出来事は個別の事柄であるものの多くは最終的な結末に繋がっていると考えられます。それぞれの理由を少し考えて見ます。

個人的におもちゃの役割はそれが特別な機能を持っているか、重要な出来事のきっかけを作る道具になるのではと考えています。ひまわりのおもちゃと事故に遭う時に買おうとしたおもちゃが同じ物と考えると話がまとまりやすくなります。 
おもちゃとガチャポンのサイズ的な誤差は最近のガチャポンの種類の多さやクレヨンしんちゃんの作品の性質が分かっていれば説明は不要になります。確かクレヨンしんちゃんの別の回でしんのすけがかなり大きなジャンボチョコビを食べていたり、みさえの頭ほどの大きさのあるスーパーカップを食べていた事があると記憶しています。

しんこがしんのすけの幼稚園に来た理由は不明ですが、ただしんのすけの友達に会いに来ただけだと作品全体の繋がりが希薄になってしまうので、しんのすけの絵や友達と接する事で何らかの事実確認を行ったのではないかと考えられます。この時しんこはネネちゃんに対して変な様子を見せていたので、4月3日の放送との繋がりを考えるとネネちゃんの桜田家と野原家と間違って生まれてきたという予想も成り立つ気がします。前回のしんこちゃん考察でも触れていますが、しんのすけ達が別の家族に生まれたらと仮定した話が実際にありました。

4月3日の放送でしんこが現れる目的についてはしんこの話がこれで結末を迎えるとするならば、もう答えが出てしまうので、これまでの放送の中で与えられた情報を取捨選択して考えてみる他は方法がないでしょう。

『さいごの? しんこちゃんだゾ』のについて(4月3日更新)

前回の予告ではひまわりが野原家で無いのではという衝撃の内容だったのですが、どうやら彼女の思い違いでそのように思ってしまったようです。とかく母親の叱り方は過激になりがちなものです。小さい時なら愛情を疑う事もあるんでしょう。彼女の目的は愛情を確かめる事にあったようです。今度は成長したひまわりが赤ん坊のひまわりに会いに行く事でしょう。

別の展開を予想していたのですが子供ならではの素朴な理由と言う事には気が回りませんでした。それはもう未来の危機に関連する事やしんのすけと共に未来や過去を行き来するちょっとした冒険物語だったりとおよそ希望的観測を盛り込んだ事など考えていたりしました。気になる所など何箇所も有り、長じれば別の話はいくつか作れる気がしました。今回はいくつか解消できない疑問点が残りましたが、なかなか良い終わり方が出来たのだと思います。

ひまわりが帰るしんこに人形を投げ返してしまいますが、ひろしが人形を買ってきてくれたことで未来のしんこ(もうひまわりと断定して良いでしょう)に繋がっていきます。トイレから出る場面については水場から出てくる事も一応考えていましたが、これも今回でトイレから出てくる物と断定して良いでしょう。

クレヨンしんちゃんも放映が17年と長いですね。放送当初の不安をよそにいつのまにやら国民的な作品になったものです。ここは是非ともサザエさん並に話が続いていって欲しいものですね。

今回は話のまとまりも良く謎を残した状態で終わったかと思っていたのですがまたしんこちゃんが出てきたようです。考察と言うほどではありませんが少しばかり気付いた点などについて考えてみました。拙い文章ですがよろしければご覧ください。

 クレヨンしんちゃん 『しんこちゃんたびたび登場だゾ』考察(2009年10月30日放送) 

 

 

 

 

 

 

 

※せっかくなのでその場の勢いで展開を予想した下手な絵を描いてみました。自分が考えたイメージとちょっと違います。ゴミ取りもなにもなしです。微妙な表情はちょっと難しいですね。適当に気が向けば適当にご笑覧ください。世の中はそこそこ適当が良いのです。実際そうだと思っています。はい。
miraikikizikuikikau

 

 

 

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