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2017年12月31日 - 2018年1月6日

2018年1月 2日 (火)

現場崩壊・・・、自己愛性人格障害のいる職場の恐怖

せっかくなので年末年始の郵便局のアルバイトで遭遇したおそらくは自己愛性人格障害(自己愛性パーソナリティ障害)により現場が疲弊した事例を書き残しておこうと思う。私は医者でも精神科医でもないが、とにかく特異な偏執は常軌を逸しているのだ。情報や思いを共有できる部分もあれば良い。    

自己愛=ナルキッソス?

     

よく『自己愛』という単語から自身を愛しすぎたナルキッソスとかナルシストからこの障害を語りたがるまとめサイトや啓発を模したサイトに出くわすが、これにより障害に対して大きな誤解が生じている気がする。むしろこの障害の本質は自分自身を愛せない自身のなさが起因する内容が見られるので、語られる本質はその逆と言っていい。語源は触れないが本質を見誤るのは大問題である。   
例えばナルシストで言えばちびまる子ちゃんの花輪くんのようなキザがいるわけだけど、花輪くんはキザなばかりでない知識量とか常識も兼ね備えているし、ただのキザなら迷惑はかけないのだ。   
   
ほかに似た例で単語の第一印象で誤解しやすい例として『アダルトチルドレン』=大人になれない子供じみた人、という解釈がなされることがあるがこれも違う。    安易に理解しやすい言葉に引きずられやすい人と、表面的にまとめられた情報に飛びつきやすい人は情報の取捨選択という意味で親和性が高く、有害になりやすい一般論が形成され易いのではないだろうか。   
   
誰でも容易に情報発信できるのだが、一部では信憑性が疑われる掲示板、あるいは質問欄や知恵袋的なものもあるのかもしれない。   
専門的な内容を体系的にまとめているなら信用性も高いといえそうだが、常に内容を精査したり、疑いを持つ習慣をつけることで、『知恵』を獲得する過程があるとなお良いのではないだろうか。   
ググれば答えが出やすいのも考えものである。ネットに繋がっていない時代は明確な答えは存在しなくて自分の体と頭を使って吸収して取捨選択することが重要だった。そしていろいろな情報に思い悩まなくて良いシンプルな時代でもあった。テレビと新聞とラジオで個人がまとまっていられた幸せな時代だったものだ。   

     

自分が体験した自己愛と推定される人の習性

     

かつてこのタイプの人間には1度遭遇したが、一見、仕事のこなし方や魅力的な語り口など『できる仕事人』的な部分を持ちながらも、一度でもターゲット(当時の私ですが)と決めた相手に対して吊し上げや晒し者にする事により見せしめは当然で、叱責する理由がわずかでもあれば社員を大声で呼んで、見せしめに合わせるのだ。おかげで私の職場での見方が急速に冷やかに広まるきっかけになってしまった。   
自身が接していない従業員でも暇があれば特に社員などや作った取り巻きらに、ターゲットの仕事に対する信用を損なう事を根拠なく触れ回るので、同じように働いている人達がいつのまにか敵になっているかどうかも気がかりで、詐術にまんまとハマり敵視している人と一緒になると仕事の効率ややりやすさが大幅に損なわれる。

この詐術にハマった人達はターゲットの事を仕事で一緒に作業やそういった失敗を積み重ねたわけでもないのに、いつのまにやら第一印象が最悪な状態になっていることがある。またこうやって醸成された不穏な空気の中で失敗を誘発し易い環境に置かれてしまうことがある。   
マイナスイメージので何か失敗をやらかすだろう的な偏見の空気の中、衆人監視のような状況。正直、視線を意識されるので負の烙印が押される事やリスクがしばしば起こってしまった。   
   
職場の働きやすさとか会社のためとかは考えてなくて、自身のルールに合うか合わないかが重要で、他者を貶めることに一切の遠慮がなかった。   
この彼女自身(この章で語っている推定自己愛の人)は、懸命に私の立場を悪くしようと吹聴しまくっていたが、作業での優越的立場を他の人に取られて以降は作業の幅が狭いことがなんとなく見えることが多くなった。   

そんな彼女もいつのまにか仕事を辞めていった。いまもどこかで業務請負の仕事をしているのだろう。   
それと外見的特徴についてはあるサイトで指摘している爬虫類的な外見としているが、彼女はある怪獣に酷似した外見だった。
(中高年の小柄なおばちゃん的顔の歪みや不細工さも多少加味するが)  

今回経験した推定自己愛の人の習性

     

この人は積極的に明るいトーンで色々なトークを取り巻きになりそうな周囲の人間に常にしかけるが、肝心要の部分についてはほとんど語ることがない。仕事については本当に重要な事を語らないので、仕事の内容を本当は理解していなかったのかもしれない。   
仕事の内容を教わる場面でも身振り手振りを加えてハキハキ対応するので物分りが良さそうに見えるし、ある種のリーダーシップを持っている感もあるが、一方で彼自身が分かっている体を前面に出すために、仕事の実践する機会が奪われると思う事もしばしばあった。その後も仕事に直接関わる機会をことごとく奪っていった事を考えると意識して奪っていた可能性も否定できない。

     

当初は常にテンションが高い状態で付き合わされるとなると仕事以上の心労が掛かりそうなので早々とグループとは少し距離をおくようにたのだが、それを察してか、私を『仕事のできない奴』というレッテル貼りをするような行為を繰り返し作業にもかかわらせないよう遠ざけ始めた。

     

郵便局の教わった内容がややこしかったのと実際に作業しないとわからない側面が多分にあったので、当初与えられたポジションで大きく出遅れた。   
職員の説明は非常に細やかで気が利いているともいえたが、集配局、無集配局とかその辺の細かいことよりはまずは実際に届く荷物の扱いひとつひとつをどれをどこに仕分ければいいか?ということを教わり、まずは実践したかった。
   
票札の見方でも処理する局が異なるし、自地域か全国から来たのか、計量が必要なのか不要なのか、仕分けしている人間が間違っていることもあるので自主的な判断が重要でもある。機会か手区分か、郵便番号が有効か無効か、封書か、計量・未計量で仕分けがどのように分かれるか、転送か。他地域から継いだものかどうか。正直言えば局側の後手後手感が否めず、ルールを決めるも説明が十分ではない部分が多々あった。職員さんは紳士的で親切であるが、大人数で説明するので私などは後ろになることが多いので、声も届かなければルールも理解できなかった。   
   
一般の人がイメージする年末の郵便局の仕分け風景、高速処理された年賀状を集めて箱に入れたり、決まった番号に入れる作業などがあるが、正直考える機会が少ない分楽な部類に入る。前者は多少体を動かす機会が多い。   
   
ともかくもそういった理解が重要なのだが見せしめを作業をまだやっても居ない状態にも関わらずに仕向けられた。聞かれ方自体も何を持って分かるかわからないかという内容だったし、何を持ってわかったといえるかも理解できない状態。この際は多弁も「わかった」言い切るのも不利になると判断し、明確に「わからない」と主張する他なかった。

     

彼がある程度作業感覚と取り巻きづくりに種まきが進んだ状態になってくると、彼自身の傲慢さが顕になって来る。   
非常に完璧主義で仕事の理解度が不十分だった人や、仕事ができないという烙印を押したいターゲットとされた人を人前で激しく叱責したり、同じ作業をしている人に不利になる形で作業中や休憩時間を使ってまでしきりに触れ回るようになったのだ。   
彼自身非常によく喋るのでどうでもいい話を聞くだけでも相当な忍耐が強いられたのではないかと思うが、「あいつは仕事を理解していない 」「(ターゲット)は理解していないから~君が代わりにやって」、「(ターゲット)は分かってないんで他にまわして」と言った具合に、悪評を周知させることもシッカリとこなし、ポジションを采配し始めた。職員に対しても激昂し引かない点はまともな感覚で言ってるなら感心するところもあるのだが、許容値を通り越して異常なまでのこだわりは彼そのものの人格に起因する思いを強くした。   
彼の前で失敗をする事は(失敗をしていなくても)、即座に彼の感情を刺激し、喚き散らすことによって仕事のハードルを上げ、失敗できる余地をすぐさま削り取り、誤りを一切許さない空気を作り上げる。なまじ人間関係があるばかりに妙な疑心暗鬼を引き起こし窮屈さが半端ない。   
気をつけていなければ同じ波長を持つ人は取り込まれた敵かもしれないのだ。   
   
彼の本質に気づいた人達や彼の行為や発言、身勝手に耐えきれなく生った人は、何人かは相槌で回避しただろうが、年末年始の疲労もあってか疲弊していたり、短期間の付き合いだからだろうか、受け答えが不十分な事もないわけではない。   

     

異常かどうかの境界線は?

     

個人的には人付き合いの距離感。特に感情的になっていると異常ではないか気づきやすい。人には踏み越えてはならない距離があってそれを気にしながら生活している。たとえそれが仕事上でのことであっても完璧主義にこだわるあまり激しく叱責理由にはならないし、理性があれば強い物言いは控えるものだ。   
彼らにはとにかく何者かを批難とか脱価値化という場合には一切の遠慮がないのだ。自己愛の人を『理性がない-』としているサイトも最近閲覧したが、感情をセーブする機能が脳に備わっていかのような異常性に納得できる。

     

まともな上昇志向や成長を望む人は他人には出来ない境界を乗り越える行動力には敬意を抱き憧れの対象になるものだ。坂本龍馬などの偉人伝やエピソードなどを見聞きし気持ちを新たにすることもしばしばだろう。   
彼らもある意味平気で乗り越えていくのだがそれが乗り越える必要がない事だったりするばかりか、動機を見れば実にくだらない。自分の偏執のために利用しているだけにすぎないのだ。嬉々としてサル山の大将を演じる彼らを見て「彼らに疲れを知らないのか・・・?」と感嘆するばかり。自己愛かどうか推測の域を出ないが彼らが『病気』であるなら納得の精神力・・・、というか一切の遠慮がないからなせる業といえなくもない。   
   
こういった障害を持っている方を組織に活かす的なことを言っている専門家的な馬鹿が居たような気がするが。制御できない暴走列車を職場に置くのがどれほど危険で現実が見えていない。

     

今回の彼は完璧な仕事を非常に執着していたが、程々がないので0か100か、白か黒かどちらからしか判断基準が存在しない。   
完璧を求めるのは機械がこなす仕事だし、そのこなせないことを処理するのが自分たちの仕事だ。数をこなす仕事はみんなそうだ。   
人力で完璧にこだわるのは愚かでしかないのだが・・・。   
機械にできるだけ詰めながら葉書を乗せるとかより、彼らのようなあるいは体育会系的な人たちが強いるであろう意味のない非効率を排除しなければならないだろう。

     

今回は効率という1点においては自己愛の人だけでなく、職員の思考停止の障害が横たわっている。そんな気がした。

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