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2017年8月17日 (木)

牛乳石鹸のCMについて考えてみる。

昔から馴染みのあるパッケージで牛が青地に配された箱は商品としての上質さと飾らない良さが牛乳石鹸のブランドイメージにはあるのだと思う。
CMにそこまで目くじらを立てる必要はないはずだが、表面的な部分で批判が殺到してしまうのは非常でまじめなな国民性であるが柔軟性と想像力が極端に欠け、本来は各々が見て様々な感情を想起させるのは優れたCMと言えるはずなのだが、残念ながら下衆の勘繰り的になってしまっている。
擁護するにしても、単純に批判するにしても何があるのか考えなければ陳腐化してしまう。
奇を衒えばなんでも有りという事ではないが一工夫「おっやるなぁ」みたいな気持ちを持たせられたら概ね成功と言えるだろう。

個人的には結婚していい旦那として、いい父親として、朝ごみを出して仕事も地味だが後輩に気を配りながらもこなす日々を送る人生というものが見るこちら側に入ってきて。かつての理想の自身の父親像を重ねながら、今の自分とかつのての父親像を比べ、人生は順風と言ってもいいはずだが、日々の中で「自分は理想(かつての父親のような)の人生を送れているだろうか?」という疑問を抱かせるのはある種のリアリティがある。

ゴミ捨てが面倒くさい?妻への不満なのか?

これはまず違うと言っていい。
別にゴミ捨て自体は出勤時であるし仕事としてはなんでもない。父親として誕生日を祝う、妻からそれぐらいは要請されることは今時、安易ではあるが男女平等が言われている状況では良くある話ではある。女性からしたら子どもの為にという理由からハピーハピーなバースデイを送りたいというのが分かるし、「子供の為なら貴方も一肌脱いでよ。子供の為でしょ?」と言わんばかりな感じである。
子どもも普通に喜ぶだろうし、プレゼントを選ぶこと自体は携帯で妻が要求しなくとも選ぶことも全く変でもないし労力ではないが、女性のようなハピハピー感が彼にはない。
「あの頃のおやじとはかけ離れた自分がいる…」という回想シーンが妻のメール(またはLINE的な物)の後に流れるので、
表面的に感情的な女性が見れば「妻からゴミ捨てや誕生日プレゼントを買ってくるのが何が嫌なの?不満なの?」となってしまう感がある。

アゴで使われる日々と理想の父親像との乖離

かつての父親像の疑問は、その前の妻からのゴミ捨てや子供のプレゼント購入を要請する場面に係っているのだと思う。
そこからかつての父親像か「かけ離れた自分がいるという事をいっているようだ。
彼の父親像が相当古くなければ妻がゴミ捨てやプレゼントを買って来てとある種の夫を使役するのは、時代の流れからしたら習慣として普通に受け入れられているはずだ。そこには別に古典的な厳しい亭主関白像による父性とかそういうものを主張したりは感じられないししかたないと考えているがどこか腑に落ちない感じ。
彼なりの人生とか日々の過ごし方が阻害されている部分があり、誕生日とは言え彼の都合はお構いなしだ。
妻からしたら「それぐらいいいじゃない」と言いたいだろうが、アゴで使われる方は子供の誕生日という納得できる理由を使ってたびたび、妻のやりたい事を肩代わりさせられる人生が見て取れる気がする。
それに男女平等とて男としての矜持というかプライド的な性質もゼロではないだろう。繰り返すたびにそのわずかな男としての何かが傷ついていく感覚がある。この生活を毎日の習慣として続けていくであろう事を考えれば徐々に夫としてのプライドと自分らしい生き方が汚されていくようだ。
そこで「このやり方でいいのだろうか?」という漠とした不安を抱くことも理解できない事ではない。

家族思いのパパ。でもそれって正しい事なのか?

彼の父親像というのが、回想シーンの後ろ姿や一人立ち尽くす少年時代、「俺も昔は起こられたけどねー」という場面で想像される。
先に述べたように古臭い亭主関白な父ではないが、少年時代や玄関から出る父親から見るに、働くのに一生懸命で父親と遊べなかった子ども時代が推測される。家族思いのパパというのが彼の父親像と合っていない。かつての父親と逆なら返って悦びそうなものだが比較の上で彼は父親への理想像を少なからず持っているようだ。
具体的な父親像が想像に任されるのではっきりとしないが、父親像は見た各々の視聴した男性たちに委ねられる形になっているのだと思う。
厳しい父親を持った家庭、優しい父親を持った家庭、色々だろうが、それがCMの中で定義づけできないとなると、今と昔の違いをあえて出そうとしたら男女平等時代の夫婦という形に落ち着いてしまったのかもしれない。
すくなくとも彼は良いパパを演じる事に疑問を持ち、多分1度や2度ではないのでこれまでの蓄積による疲労感というものが見て取れる。

飲んで帰ったら、「なんで飲んで帰ってくるかなぁ」

奥さん厳しいです。誕生日だからというのもあるのでしょうが。多分誕生日でなければ「カレー粉買ってきてー」ぐらいの事も言ってるかもしれません。
そうでなくとも些細な要求や叱責とか夫になにか行動や態度を要求する事が恐らく男女の夫婦なら日常的にあるでしょう。
まぁザックリ最後の「さ、洗い流そ」でひとまとめにこれまでの妻への在り方や父親としての在り方への疑問など、言ってみれば負の感情的な色々な物、ギスギスした気持ちなども石鹸みたいに洗い流そうという事なんだと思います。そしてまたゴミ捨ての日々が始まるというエンドレス。
メッセージとしてはちょっと奥さんの態度が目立つ気がします。素人考えでは男性視点の夫婦の日常のギスギスをテーマと仮定したらもう少し、仕事のストレスとか、いい父親を演じる事を疑問に思う出来事がもう少しあればバランスがいいような気がします。

家庭を持ち組織に属して責任感が出てくると会社組織しては変化しようとはするでしょうが、働く個人としては基本は同じことの繰り返しになることもあるのだと思います。朝起きて、ゴミ捨てて、歯磨きをし、規則正しく、アフター5はほどほどに、どれも必要な事だけど時間は有限。振り返って自分らしい生き方ができてるかなぁと言えば、休みの日は家族サービスをこなしつつゴロゴロして何もしたくない事があったり。
就職のために諦めた夢の事を考えてはくすぶったり、失敗を後悔する日々を過ごしたりするのかもしれません。それでも大人として社会人として父親として歩みだしたら退くこともできない事もあるでしょう。

退くことができないけど、歩きながら気持ちを新たに進んで行く事ならできるはず。
心も体もキレイに洗ってあげて健やかな毎日を過ごしましょう。

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