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2014年6月

2014年6月14日 (土)

『アナと雪の女王』レリゴー現象 MAY J.と松たか子の違いを考える

Yahoo!ニュースにて『『アナ雪』メガヒットのMay J. 手帳に「仮・紅白」と記入済み!(シネマトゥデイ)』の記事でイナゴの動向を見ていると
MAY J.が「紅白に出たい」という旨にかこつけて松たか子推しとMAY J.叩きが起こっていた。

6月14日の正午時点で「松たか子のほうが紅白にふさわしい」というコメントではいいね17500、悪いね860が付けられている。
そもそも松とMAYの優劣を決めるわけでもないので論点がずれているうえに、紅白に出たい発言に対してレリゴー松たか子信者が敵視して噛みついている異常事態。一方を立てたいが為に一方を貶める愚かな合戦の惨状となっている。いかにもヤフコメらしい日常風景である。

この場では論理性よりは感情論が優先されて、Yahoo!がポータルサイトというのが論理性の低い一般人が多数が感情的なコメントを寄せ、それを煽る挑発する連中が加わって荒廃を極めている。アクセス数は流石だが一般論よりはかけ離れていると考える事が前提にある。
それにしてもこの状況は異常である。

しかし、どちらも魅力的ながら松たか子とMAY J.の人気の差がある点については認められるが、公平中立性がかなり欠けている。
音楽性が評価されているわけではなく好き嫌いが優先されている点、そして双方歌うスタンスの違いに目を向けていないからではないだろうか?
それらについて少し掘り下げてみようと思う。

『Let It Go』 松たか子とMAY J.の良さ


松たか子の場合は声優としてキャラクターを意識した歌い方で感情移入がしやすい。松たか子らしい儚い声色ながらもありのままの姿で力強く歩みだす解放感、たどたどしい歌い方は危なげながら勇気ある一歩を踏み出したといった印象だ。松の声の個人的な印象は10代の少年のようなちょっとだけ男の子っぽいあどけなさとかたどたどしさという思いがあるのだが、『たどたどしさ』という点においていい仕事をしているのではないだろうか。
歌唱力という点を論じるのはナンセンスだが上手くは聞こえない。松たか子ならもっとうまく歌えた筈だ。
でもこれは劇中のエルサとして歌っているからこれはこれでいいのだ。

MAY Jの場合はエンディングを締めくくるのにふさわしい熱唱が素晴らしい。力強い歌声は作中のエルサのレリゴーからの不安定感がなくなり心身ともに女王としての成長を遂げたエルサや明るい未来を感じさせる。引いては物語の連続性を感じさせ、観る側に気持ちには思い思いのエルサの元に発展していく王国の姿を見ることができたのだろう。

スタンスによる違い

そもそも比較すること自体が間違っていてレリゴーでも『役者』と『歌手』として歌うかが異なっているのだ。声優として松たか子、エンディングを締めくくる歌手としての歌っているという違いがある。どちらにも求められる部分も違っていて単純な良し悪しでは測れない所があるのだ。
松たか子のほうが人気が出るのは当然で、松たか子本来の人気と女性や子供たちの感情を重ね合わせるには申し分ない曲と役柄を与えられている。MAY J.の方は作中に感情移入できる部分はなく、歌手としての役割のみで存在している。同じ曲を歌っている以上比較したがるのが人情というものだが決まって両者の好き嫌いレベルに終始しているのは、テレビ露出の多いMAYが一部女性を中心とした視聴者層に悪感情を与えてしまたからだろう。

というのもディズニーの女性子供の人気の高さ、エルサが女性の気持ちを代弁するキャラという事もありメイン客層は女性という事、好き嫌い論争には女性特有の感情的な部分、歌の質を重視しない点、好き嫌い=優劣かのような低いレベルで終始している点、などから女性が多いと考えている。

好き嫌い論争については最低でも好き嫌いは許容されるが一方を叩いて貶めるのは観る側の未熟なエゴであり、ディズニーという夢の世界の話では憎しみ合戦は相応しくない。 私もディズニーランドに行った事があるが夢の住人になりきっている人々が男女問わず沢山いた。何時間もの行列にもかかわらずみな楽しそうでディズニーとは日本人の心のオアシスという想いを強くした事があった。
本質とは程遠い感情的な対立は映画を観てなお一方を叩こうとする観客は一体映画から何を学び取ったというのだろうか? 好き嫌いの感情的な二極論には全く意味がない。

イメージの違いにより一方が悪くみられる点があるようだが、例えばMAY J.はバラエティー番組でカラオケのイメージがあるが多くの人々を魅了する歌唱力があるのは聞いて感じ取れると思う。「カラオケ」と聞くと低俗だが対決する場面は実力を尽くす真剣勝負を演じている。「歌は優劣とか点数ではない」というならば松とMAYに優劣をつけること自体がナンセンスという事も気付く筈だ。

カバー曲が多いという点についてだが、確かに私がGW中に広島のフラワーフェスティバルに来た観客の中にも実際に女性から「自分の歌がない」という声を耳にしている。私ももう一つ実績が物足りないとは思っているので自分のカラーが出せる楽曲を出したら良いとは思っている。
Youtubeなどでは彼女の過去の楽曲を聞いてみると実力は十分に窺い知ることができる。歌詞を書いたりするのが難しければ良い作詩作曲家などから楽曲提供をしてもらうのも珍しくはないので良い人と組む事ができたら良い。
流行やアニメ向けに手堅くいくなら前山田健一や菅野よう子、梶浦由紀、泣ける歌詞なら瀬尾一三(中島みゆきの人とか最近のももクロ)、サイバーな楽曲であれば小室哲哉や浅倉大介とか。

音楽の世界は上手ければ活躍できるというものでもない。昔は時間を問わずあらゆるアーティストを紹介するテレビ番組が無数にあって色々な音楽に触れる機会はたくさんあり、ミリオンセラーがランキング番組を賑わせていた。今はそういった音楽番組も少なくなり、その上インターネットやスマホなど趣味が細分化し音楽ばかりもてはやされる時代ではなくなった。自分の持ち歌というものを一般に認知してもらう機会は極端に少なくなっている。

しかしながら趣味やメディアの多様化の中でも例えば音楽業界の大御所でもNHKの音楽でも広く知られている冨田勲が初音ミクを使った演奏会を行ったり、ニコニコ動画を利用してGACKT、西川貴教、小林幸子、ロンブーの田村淳(一応JealKBがあるので)、その他のアーティストなどがニコ生を利用したプロモーション活動が盛んに行ったり活動の場を開拓し始めている。

『アナと雪の女王』ではとても良い仕事をしたと思っている。彼女の歌唱力は素晴らしいものがある。
歌手としては『カラオケのMAY J.』とか『カバーのMAY J.』と呼ばれるのは歌手としては十分とは言えないし、所詮バラエティー番組では努力を重ねても質が悪い評価癖のある視聴者ばかりでは正当に評価されることはない。

MAY J.は歌手以外でも音楽番組のJ-MELOにて日本の音楽を英語で海外に伝えるなど、彼女なりのアプローチの仕方ができる可能性がある。
今後の活躍は未知数ではあるが、潜在能力の高さを感じさせる歌手ではないだろうか。

■2014年5月4日 フラワーフェスティバルにて
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