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2011年3月14日 (月)

災害時に際して人道主義について考えてみる。

今回の地震は大きな爪痕を残してしまった。死者の規模は今後さらに拡大し、原発の崩壊と茨城沖など関東周辺を震源とする地震の多発から2次的、3次的な被害が想定され事態は切迫した状況だ。このような事態では、被災地にメッセージを述べる方、物資や金銭を寄付する方、ボランティアを買って出る方、折鶴を送ろうとする方、色々な人が様々な支援の意思を表明する。

しかし、このような行為には必ずしも好ましくない支援も存在している。救援物資といいつつ実は不用品や扱いに困るものであったり、大量の折鶴など送る側のエゴにより行われる一方的な行為が被災地の悩みの種になっている。こういった行為がよくあるのかWikipediaでも“第2の災害”と定義されているらしい。これは先日起こったタイガーマスク伊達直人の養護施設への連続寄付事件にも通じるものがある。

寄付文化などが育つのは悪いことではないがやはりエゴも強く健全な寄付とは言えない現実もあるようだ。養護施設の方の本音はランドセルなど現物は手間や対応などもありお金の寄付のほうが助かるという。寄付したからと言って感謝を求めすぎてしまう人もいるというのは考え物である。 また不要な寄付や支援は扱いに困ったり半ば廃品処理と化してしまうだろう。

深く掘り下げないが共通点の列記とどういう人達が何を意図しているか考えてみた。基本的には善意からの行為ではあると思うが。

・本当に必要な支援を理解していない。(良かれと思ってやる人、何を寄付しても役立つだろうと思い安易に寄贈する人)
・不自由な境遇の人を思う気持ちより支援したい気持ちが優先している。(上記下記とかぶる。気持ちばかりで空回りする人)
・支援することそのものに意義があると思い込んでいる。(恐らく低所得者、金銭的にケチな人、精神的欲求に比重を置く人、やらない偽善よりやる偽善論者も含む)
・一過性で寄付を習慣としていない人が多数参加している。(流行に便乗する目立ちたがり屋)
・物質的支援が少なく精神的支援が強調されているもの。(低所得者や便乗者、金銭的にケチな人、精神的欲求を求める人、「お金のかかる物は寄付できないが出来る限りの気持ち」を表したいと思われる。)

エゴと正当な支援の境界線

では、エゴと正当な支援にはどれほどの差があるのだろうか?
先にもエゴと言ったが、簡単に言えば人間のすべての行動にはエゴが存在していると考えている。それはどれだけ崇高な意識で奉仕を行う人であっても”自らの奉仕したい気持ちを満たす=エゴ”ではないかと思うからだ。しかし、役に立つ立たないでは雲泥の差がある。
そして本当に助けになる支援者に対しては最大の敬意と感謝を報酬として払うのが支援された者の礼儀というもので、役に立ったと思うならニワカ支援者であっても見返りとして感謝の言葉ぐらいは言ってもいいかもしれない。

単純化すると全てエゴとして考えると、次は支援内容の程度の差に目を向ける必要がある。基本的に支援したい気持ちには差はないと考える。(本来なら支援した量も考慮に入れるべきだが本来個人の支援は微々たるもので量ではなく感謝の気持ちによって評価される性質のものであり、個人や団体など支援した量は相対的には差がないと考える。ただ個人でもまとまった一定量の支援でなければ迷惑になってしまうこともあるだろう。)

しかし、被災者は支援の気持ちだけでは食っていけない。基本的にエゴと正当な支援を分ける境界は”気持ちの差”、すなわち“支援した充足感”と“役に立ちたい気持ち”のどちらが勝っているかによると考えるが、”具体的な支援活動”もセットでなければ全ては独善的なエゴにしかならない。災害支援は個人のお手軽な支援では迷惑にしかならない。

誰のための支援なのか?を考える

折鶴や手紙など気持ちが温まる支援というものもあるが使い所を間違えば迷惑だし実際に役立つ機会もかなり少ない。支援される側にとって必要としているものを最大限生かすように専門の支援団体に寄付を考慮したり、独善的な考えは控えることが肝要だ。

大惨事の前に助けたい気持ちが刺激されるのは良い事だが、特別なことと考えず日常生活においても不幸な出来事が日々起こっていて、そういった不幸な気持ちを当たり前に支えていく意識を育んでもらいたいと思う。 こんな時期だからこそ余力があれば進んで助け合うべきだし、積極的に支えていくべきだが、日常において不幸や困難を支えられる人こそ本当の人道主義者として評価する社会であってほしいと願っている。
本当に役立つ支援ならあえて細かい事はいう必要はないが、支援はまず”自己を満足させるのでもアピールする機会でもなく、被害者の為にあるのだ”ということを念頭に置いて行ってほしいとおもう。

命の尊さについて(3月22日追記)

3月22日時点で警察庁の発表で死者行方不明者2万2885人に上る。本当にわずかな時間に災害における死傷者は類を見ない被害をもたらした。しかし、衝撃的な出来事ではあるが日本で年間3万人の自殺者が出ている状況にも目を向けてほしいと思う。
人が自ら自殺を選択する背景には個人が社会に排除される背景がある。社会は個人が作るものであり、そして個人が集団になると閉鎖的な空気を作りだし、間接的に自殺に追いやってしまう我々なのだという自覚を持たないといけない。

日本人に「命」とは何か、「生きる」とは何かを考える時期が来ているのではないだろうか?

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