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2009年9月

2009年9月22日 (火)

臼井儀人氏死亡、事故死への疑い

失踪をしたと言うの記事を読んで知っていたが想像したくないことが現実になってしまった。
しかし死亡するには疑問が残る事がある。
他の方のネット上のコメントなどを見て気付いたのだが「荒船山に行く」と告げて失踪して死亡するまでの過程を聞くと事故死したかのような印象を受けてしまった。確かに状況を考えると自殺か事故と考えるのが妥当ではあるがテレビやマスコミに偏向に警戒心があることや、ただの一般人が死亡した事とは訳が違うのではという理由もある。他殺により殺されたと仮定して少し考えて見たいと思う。(※以下はあくまで仮定の話です。)

遺体発見現場の地形

ネット上の新聞社などの記事によれば荒船山(1423M)の崖下120Mで遺体が発見されたと言う。私自身ニュースを聞いた同時期に偶々山に登る機会があったのだが、山にもよるが人の手によって人一人担いで登るのは現実的ではないだろう。ヘリ等を借りるなどして現場上空から落下させる方が状況を作るには現実的だと思うが大掛かり過ぎる。登山者の眼なども考えると別の場所で殺害されると言うのは考えにくいだろう。
現場で殺害されたとなれば家族や本人から山に行く情報を伝え聞いて待ち伏せか追跡により殺害する事は可能かもしれない。遭難の可能性を冒してまで登山道を外れて行く事は無いだろうし、登山客を装って背後から突き落とす事は出来るだろう。

警察の対応

警察の調べをすべて肯定すれば遺体は臼井氏であり、他殺を考える余地はないかもしれないが、高知白バイ衝突事件のように有力な証言や状況が提示されながら有罪になってしまった事例などでは警察の調査の捏造疑惑が話題になった。根拠と言える程ではないが、ただ警察の言い分を疑う余地が場合によってあるのではないだろうか。
状況が事故死と考えられる要素が多いとは言え、警察による他殺の可能性を早い段階で否定されてしまっているのには少々違和感がある。有名な方が不幸な死を遂げる事はよくあることだが、ただ今回の死亡をそれと同列に扱ってよい事なのだろうか?

誰が得をするのか?

『クレヨンしんちゃん』は海外でも人気の高い作品だ。中国側で商標権で争っていた。時期的にBALLADが好調でもあり金銭的に中国側で利益を得ようとする人々は面白くなかったかもしれない。人気作品であるので日本以外でも相当な収入が見込めるのは間違いないことだ。
訴訟を争っているのは双葉社なので臼井氏本人を殺害して直接中国側の販売がどうこうなるとは思えないのだが、単純な怨恨で殺害をされるか、中国側の何者かからこのまま『クレヨンしんちゃん』で利益を得るようならただでは済まさないと言う脅迫か警告の意味が込められているのかもしれない。
『クレヨンしんちゃん』もそうなのだが著作権や商標争いで中国・韓国と日本は争う事が多くなっている。もし今回の件が他殺ということであれば著作権・商標権などに関する全般への脅迫・警告と考える事もできる。
直接の動機に結びつくほどではないかもしれないが作品の性質上子供に見せるのに相応しくないと思っていた人たちも得をしたと見ていいだろう。
また他の記事などにコメントをしている方では酒井法子の出来事など含めて別に注意をそらす目的があるのではないかと考える方がいた。

著作権・商標権争いは日中韓の外交においては避けて通れない事柄でもある。外交上の障壁と考えているなら政治的な意図が入る余地も若干は出てくるだろう。

横道にそれてしまうが民主党政権は中国・韓国寄りの政権だ。韓国民潭は民主党に対して外国人参政権を得る要請を行っていたし、小沢氏は中国と関係を強化している。鳩山氏は「友愛」と言う言葉を用いて外国人が流入しやすい状況を作ろうとするだろう。ここ最近で9月20日の新聞記事では民主党は戸籍制度廃止をめざす議連が発足を予定しているらしい。

日本は地理的にも中国や韓国からの犯罪の数は上位に上り、日本と関係を深めると言うことは中国の肥大する人口や北朝鮮難民の受け皿、韓国経済の救済、中国資本による日本の企業の買収と技術移転、移民や参政権付与、日本国籍取得による日本経済の実質的乗っ取りなど不安要素が多すぎる。中国や韓国は一筋縄で付き合えない国なのは日本人なら誰でも理解できる事だ。
移民については無条件に大量に入ってくると賃金の低下、文化的な衝突や対応に国民が苦労することだろう。恐らくはウィグルのような状況になると見て良い。

ウィグルの問題は人権問題だが、民主党の今後の方針次第では日本は権力による人権侵害が行使される恐れがある。そして多くの人が犯罪者として逮捕される恐れがある。
以下の記事では民主党は人権侵害救済法案を提出しており、人権擁護法案より危険な法案であると述べられている。その他にも民主党政権の危険性などにも触れられている。
日教組の「悪法支配」を許すな(1)/八木秀次(高崎経済大学教授)、三橋貴明(評論家・作家)
外交政策について個人的な考えを言えば日本にとって油断できない中国や韓国とは一定の距離を保ちつつも、台湾やフィリピンなど中国の周辺諸国と関係を強化するのが良いだろう。
個人レベルの付き合いは構わないが外交レベルでは中国と韓国は日本にとって害ばかりしかない。健全なアジア経済圏を構築その他のアジア諸国と協力して均衡を保つ意味で包囲網を形成するのが望ましい。

今回の死亡は大変残念なことだ。もう原作者本人による新しい作品を永久に見られなくなった事に寂しさを覚える。本当にただの死亡事故で済ませてもいいのか少し気掛かりだ。
ここまで成長した作品なら作者の手を離れても放送を続ける事は出来るだろう。今後の作品の継続を期待したいと思う。

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2009年9月 7日 (月)

友人と距離をとるという事

先日、月に1・2度程度連絡を取り合っていた友人と距離を置く事を決めた。彼とは以前から大学を卒業してからも何度も連絡を取り合っていた。
私自身は彼とのやり取りの中で感じ始めた事では次第に半端な付き合いや互いに感謝する姿勢が欠けていっている事、彼自身が安定的思考(無難な保守的思考と思っている)に私自身の方向性が噛み合わなくなってきたという事、彼自身の性格や態度のずるいと思う部分が露呈し、正直に話をやり取りを交わす可能性が開けない事などが理由としてあった。

関係を改善したいという気はあったが、違う考え方を許容していける可能性がない訳ではないが、どうしても個人の考え方には踏み越えられない壁が存在する気がしている。“個人の自由”とか“思想信条の自由”と言ったものだ。

彼との付き合いの中で個人を尊重する意識が欠如しているとは思ってはいないが、とやかく言えば上記のような“個人の自由”を持ち出される面倒くささもあったし、彼自身の気になる点としては責任転嫁する癖や知ったかぶりをする癖など正直さ(誠実さとは書かない)に欠ける点が散見されるようになってきた。このようなおよそ感情的な部分で不快感が残る事がある。

彼自身は仕事の中でバランス感覚(協調性)を高めてきているようだが、仕事に意義を見出した事により、これまで受動的な協調性が能動的な協調性として高める事ができるようになったようだ。その為に自由な発想も抑える結果になったのではとも思う。
私自身は逆に安定や協調を良しとしない意識を持っているのだが、いまだに無意識に相手の考え方に同調しようとする癖が抜けない。親しい間柄であればそれだけ相手の傾向に傾いてしまう。

これまでやりたいと思っている事でも周りの目を気にしては、納得のできる結果を残せなかったり、
自虐的なことを考えては自分から無難な方向へ進む事が多かった。だから少しでも自分が信じる道に精力を傾けなければ何をやっても身にならない。

友人には不満や言いたいことがあれば言ってくれと何度かお願いしていたが、何かあろうと本当のことを口に出す事はない。会話をする際はいつも相当な時間を費やすことが多く、時計が午前を回る事がよくあった。互いに話のまとめ方や流れを掴むのが上手でない事も長くなる理由にあるだろう。それでも友人が仕事の話をしてくれる度に付き合いが負担になってはいないだろうかと心配する事が多くなった。

時間的な制約や楽しみを共有できる機会があまり取れなかったのも理由にある。漫画やアニメ、政治などの話などをよくするが、結局は情報が共有されていないので、深い内容に発展しにくく表面的で無難な一般論程度に落ち着いてしまう事が多い。せっかく互いに話題を提供しても話題を汲み取る努力も欠けている事もあっただろう。

友人関係にどのような点に重点を置いて付き合うかは人次第だが、距離が近すぎると有り難さを忘れてしまいがちになる。
関係を改善する可能性は残されていると思うが、時間を置いたり、場合によっては決別する事も考える事があるかもしれない。親しい人が自分自身にとって先に進むのに障害になってしまうと考えてしまうのは悲しい事だが無い話ではない。
進むべき道が違うなら今まで通りでは駄目な事もあるのかもしれない。
互いに先に進んで行ける良い関係でありたいものだ。

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