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2009年6月 3日 (水)

確かな信頼を備えた情報とは

先日、Youtubeで少し面白い動画を見たので関連して情報の正確性について触れてみたい。

QVCというショッピングチャンネルで平賀さんがイタリア製の保証書(証明書?)がないことに対して怒っている。
確かに安っぽいし、映像では光沢などは嘘臭い演出でゴールドカードなんて何の証明にもならない。

しかし、実際にイタリアの証明書と言う物が付いていたらそれが本物であると言う証明は誰ができるのだろう。
訳分からんイタリア語でいかにも権威がありそうな認証マークでもついていたら騙される事もあるだろう。
写真を添付したところで画像編集や関係のない画像を使うことも出来る。結局証明するには製造工程をわざわざ調べ上げるしか方法はないわけだ。

信頼性を演出している商品などは農業生産者で実名や写真を乗せたり、リフォーム業者のチラシでは担当者の似顔絵を乗せるなどして信頼とそれを補う親近感のようなものを演出したりしている。その他にも色々なマークが付けて分かりやすく良いイメージを持ってもらおうとしている。かといって商品の品質の証明になるかと言えばそうはならない。
偽造する余地は生産・流通や宣伝などにもいくらでも存在させられる。

商品を購入するのはその時のイメージを優先して購入する場合が圧倒的に多いだろう。それはサービスや食品などでいちいち十分な確認をしながら購入する事など現実問題難しいからだ。
いい加減な物を売っていいとは思わないが確かな証明が出来ない以上は不確かな面で信頼性を補うのはしかたがないところがある。

 

その他情報媒体などについて

情報には当事者達が直接的に関わる一次的な情報とそこから人づてにあらゆる手段で入ってくる二次的な情報がある。私達の周りには色々な情報が溢れているが情報の確かさは実はあるようでない。
誰もが一次情報に触れる機会があればよいのだが世の中で見聞きするあらゆる情報、新聞・インターネット・書籍などほとんどは他者の仕入れた情報を色々なフィルターを通して得ることしか出来ない。その情報をより確かなものにするのは受け手の知識と判断能力、情報がどこから入手されどのような団体や機関、著者から出されているかなどの信頼性に掛かっている。

インターネットがない時代、主要な情報源としてテレビや新聞が機能していた。しかし、現在は信頼を損なう姿勢しか見られなくなり、かつての信頼は失墜した。これはネットの台頭のみが問題ではないと思う。それは得られる情報が限られていた為に無条件の信頼に胡坐をかいていた企業側の見通し不足もあるだろう。

実感として説明できないながらもテレビや新聞は主要な情報源としての価値があると漠然と思っていることがあった。そんな目に見えないあやふやな信頼にこれまで支えられてきのだとしたら、現状の信頼不足は致命的だ。
どの番組を見てもバラエティー色が強くなり、確かな情報を期待を持てるのは辛うじてNHKぐらい。政治に関してはとっつきやすさは増したものの、まるで見世物のように軽くなってしまった。一般の関心も観客のように軽薄な意識を蔓延させてしまっている。

情報は確かな情報と培われた信頼こそを味方にするべきなのは言うまでもないだろう。不確かな情報など価値があるはずがないからだ。たった何度かの偽装や捏造により築かれてきた信頼を放棄するのは意味がない。

私たち自身も数ある情報を振り分ける能力が求められている。不確かな物に価値を見出すのは良い事もあるので一概には言えないが、印象だけで物の良し悪しを決めずに、実質的で確かな部分にも目を向けて見ても良いことも多いのではないだろうか。

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