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2009年2月11日 (水)

空気の影響について考えてみる

私達が物事を判断して処理する為に重要な要素としているのは何であろうか。それが本人にとってのみの問題で明確な目的や動機があれば良い。しかし、集団の中で何か決定をしなければならない時、物事を判断する重要な部分は度々2次的、3次的な理由として片付けられる事がある。

それは個人個人の気分や形作られる空気に他ならない。気持ちの上では別のことを考えていてもその時の空気が大勢を占めていれば理由も無く意見を述べる機会を損ねてしまう。また少数意見を大勢(おおぜい)で誤っていると断じて排除しようとしたり、その場の空気だけで押し切られることがある。

不真面目な集団と議論して(その機会も無いかもしれないが)何かを決定させるのは骨が折れるのではないだろうか。柔軟性を失い意味無くカタブツに徹している人ばかりではなお辛い。

個人個人の意識が低ければ大抵は大勢に意識は傾く。議論の意識が高い人を標準とは考えないが一言で言えば怠慢が原因だろう。この場合はその場の人々にわざわざ意識を喚起した上で論調を変える必要がある。

状況によっては何かの考え方に固執している人や自己陶酔に陥っている人もいる。理想主義者に現実主義を説く場合や自身の思想や美学遂行を目的にしている人、行為そのものに満足する人などが考えた範囲では含まれるだろう。そのほかにも個人的な感情や印象が優先したり、議論の自由性が低い場合、特定の人物が幅を利かせている場合など、物事を決定する本来の理由をよそに追い出してしまう事が沢山ある。

物事を処理するために重要な部分と行うべき事が明白でありながら決定する事ができない場合にはその集団の中に何かしらの空気が議論を左右している。

しかし実は空気はなんでもない行動一つ一つでも影響を与えるものである。
山本七平の著書「空気の研究」では空気の性質をこのように述べている。以下は例示と本文の引用部分

        
  • 三菱重工爆破事件では人々は重傷者を傍観し、介抱していた人々の全ては会社の同僚を介抱しており、知人・非知人の差別をしている。
  • 戦艦大和の出撃
  • 若い母親が赤ん坊を気遣って保育器に懐炉を入れて殺してしまう。感情が絶対化し、障害を悪として排除した結果による臨在感。
  • 文芸春秋「自動車ははたして有罪か・米国よりも厳しい日本版マスキー法の真意は」に見る徴税を意図した人工空気醸成、物神論。
  • イタイイタイ病とカドミウムの関係について取材した記者が無害のカドミウムを目の前でみせると逃げ出した様。臨在感。

“「空気」とはまことに大きな絶対権をもった妖怪である。一種の「超能力」かも知れない。~~中略(戦艦大和の出撃を例に挙げて)~~こうなると、統計も資料も分析も、またそれに類する科学的手段や論理的論証も、一切は無駄であってそういうものをいかに精緻に組み立てておいても、いざというときは、それらが一切消し飛んで、すべてが「空気」に決定される事になるかも知れぬ。”

“一体、以上に記した「空気」とは何であろうか。それは非常に強固でほぼ絶対的な支配力をもつ「判断の基準」であり、それに抵抗する者を異端として、「抗空気罪」で社会的に葬るほどの力をもつ超能力であることは明らかである。以上の諸例は、われわれが「空気」に順応して判断しているのではないことを示している。だが通常この基準は口にされない。それは当然であり、論理の積み重ねで説明することができないから「空気」と呼ばれているのだから。”

“従ってわれわれは一種の二重基準(ダブルスタンダード)のもとに生きているわけである。そしてわれわれが通常口にするのは論理的判断の基準だが、本当の決断の基準となっているのは、「空気が許さない」という空気的判断の基準である。”

“現実にはこの二つの基準は、そう截然(せつぜん)と分かれていない。ある種の論理的判断の積み重ねが空気的判断の基準を醸成していくという形で、両者は、一体となっているからである。”

空気について考えた私観など

築地市場の出来事について

このあいだ築地市場の外国人(日本人もでしょうが)立ち入り禁止の話がありました。これを例に考えてみると市場の空気、観光客の空気、この出来事を知った人々の空気がある。以下にそれぞれの人々が占めている空気について仮定してみる。

市場からすれば築地市場を知ってもらいたいが、仕事の邪魔になる事はしてもらいたくない。好意的に見る反面、仕事という空気を優先させている。仕事の邪魔であれば外国人を問わず観光客に対しては強い態度で怒ることもあるだろう。築地市場は基本的に見学者を排除はしていないが、見学を可能にしている以上むやみに邪魔者扱いする矛盾が生じる恐れがある。
マナーが悪い外国人観光客という空気も出来ており、特に“外国人”観光客を注視して好ましくないという空気が形成されている。感情的には外国人は日本人観光客に比べると若干厳しい目が向けられる事になる不公平が生じる場合があるだろう。しかしながら原則的には外国人は日本に詳しくないと考えるべきで、観光客として日本人観光客と相対的に扱う姿勢が足りなくなってくる。
“仕事が重要という空気”と“マナーの悪い外国人観光客という空気”が形成されていると思われる。また“外国人”と報じられているので“日本人”とは基本的に別物扱いしている所があるのではないだろうか。

観光客としては日本の文化や築地市場の様子に興味がある一方であまり邪魔をしてはいけないという気持ちは多かれ少なかれあると考えられる。中には度を越えたことをする者もいる。
観光する以上は気持ちが高揚している観光客も相当いると思われる。市場で注意を受ける事に対しては申し訳ないと思う人、元々意に介さない人、市場のやり方に反感を抱く人等色々。また集団になれば個人個人の道徳意識(と言うより個人なりの規範意識)は希薄になると思われる。この点は日本人でも同じ所がある。実際に身の処し方が分からなかった為に非常識とされる行為をした場合があるのではないだろうか。怒られる自覚が無かった為ににかえって迷惑になる事をしたという事もあるかもしれない。
大きな空気としては“観光客としての空気”、“迷惑を自重する空気”、“興味本位の空気”、“反発の空気”といったところだろうか。

出来事を知ったその他の空気はテレビ、ニュースの記事や個人のブログなどで色々なところでその情報を見聞きし、“一つの問題”としての意識が喚起される。問題に対してはネット上の記事やコメントを残す事である程度気持ちを消化する人、他の人に話す話題程度に捉える人、問題意識を持続させて継続的に意見をのべたり活動する人など意識の差により様々に分かれる。
先の2者のように問題意識が薄い人々が多くを占めていれば流されている表面的な情報を気軽に信じてしまうことがあるだろう。それでも“外国人観光客はマナーが悪い”という空気自体は広まるので、問題を解決するのに安易な姿勢をとれば良いと考える。今回の出来事では“外国人”と呼ばれているために、表面的な情報を受け入れた日本人にとっては外国人=マナーが悪い→外国人自体が問題である→安易に治安など含めた外国人排除、客観性の低下を促進するという流れも出来るかもしれない。築地の出来事などを一つの既成事実として認識した為に外国人を“悪”として厳しい態度で臨むことが“正義”であるという論調が持ちあがる一助となりうる場合がある。問題意識が高い人は積極的に自分の意見を広める事によりある種の空気を形成しようとする。テレビなどは何かを意図して問題意識を喚起し、空気を広めようとするだろう。
安易に形成された空気に集まる人々は怒りの感情ばかりで攻撃的側面においては異常な鋭さがあるが、違いを許容することはできなくなるだろう。不特定多数ではあるが占めている空気は基本的に大別して“怒りに依存する空気”、“許容に依存する空気”でしょうか。その中に、“外国人の認識に対する空気”、“築地の認識に対する空気”“責任の所在を問う空気”などがネット上の人々が集まる記事などを媒介して空気として広がっていくのではないか。

このように考えてみると空気というものは常に存在しており、目に見えない空気同士の勢力争いが知らないうちに行われているように見える。

また最近では京都の舞妓に対しての“外国人観光客のマナー”が悪いという印象の放送をしている。確かに迷惑の掛け方が日本人と比べるとひどい場合があるようだが、違いを受け入れた上で受け入れ態勢を作る必要があるだろう。大挙してカメラを向けている様子は異様な雰囲気はあるが、日本人も同じ事はよく行っている。

 

テレビの政治報道や麻生、官僚批判について

麻生さんが郵政民営化に反対だったといった事を批難するのもこれも空気だ。でも別に以前から小泉政権と距離を置いている様でもあり、言った事に問題があるとは思えない。テレビでは「民主党と選挙で戦う前に結束力(空気)を低下させてけしからん」と言うわけだ。以前民主党で小沢氏が代表に選ばれたのも結束力を優先した空気の影響だ。意見が分かれるのが当たり前でそれをいまさら本音を言ったからと蒸し返してわめくほどの事もない。
歯に衣着せぬ所も麻生太郎の一つの欠点でもあり、また魅力でもある。

安倍晋三が総理になっている時にも“KY”という言葉がよく目にするようになった。この言葉の意味はその場の空気が読めない人に対して注意、批難したりする際に使われる。中立的な言葉ではなくKY=悪い事という意味合いで和を乱す者をマイノリティーとして議論無く排除しようとする。

しかし、小泉さんにいたっては変人と言われるほどの人で今までにないパフォーマンスを連続して行っているのにKYと言われないは何故だろう。小泉氏の事を内心ではやりすぎと思っていても好ましくないとは考えずそれもまたご愛嬌程度にしか受け取らなかった。国民にとってはハッキリ物を言う姿勢は変革者であるかのように演出して小泉氏の支持を支えた。郵政解散が行われた当時はテレビの行っていた調査では郵政民営化の優先順位はもう少し低い位置に占められていたと思うが、その目的の為にどちらかと言えば常識はずれな解散をしたのはKYと呼ぶ人はいない。

このように歴代の総理の行為についても相対化が図られていない。

また自民党の批判ばかり報道するのに何故か民主党や公明党の批判はされる事はない。小沢さんが無投票再選したのももちろんだが、公明党は代表選を行っていないし、それに定額給付金を要請したのは公明党だ。自民党は公明党のおかげで与党を維持できているという側面もあるだろう。
自民党が国民の信を問わずして何度も首相が変わったことを批判するなら無投票再選をした党派は民主的と言えるだろうか。

公明党についてはニュースでは太田昭宏代表が何度か顔を見せる程度だ。テレビが一丸となって麻生氏の単純な批判を繰り替えしながら、民主党その他の野党を立てるようなコメンテーターや批評家には非常な違和感を覚える。批判する中身は表面的、形式的な部分ばかりなのに“反麻生の空気”を作ろうとする意図は露骨に示されている。

先日の公務員の労働権を肩代わりする人事院の話にしても官僚批判という空気によって、人事院が解体させられるかもしれなかったのだ。谷公士氏のインタビューを見たが本人の弁では人事院は独立性が高く、内閣や国会にも意見を出来る立場にある。人事院に対しての議論も無いまま解体して人事局を作るのは違うのではないか。という旨を語った。独立性という部分は今の官僚批判の中では“渡り”の斡旋をしていると簡単に結びつける事も出来るが、人事局になれば何がよくなるのかはよく分からない。それに独立性が高いという事は逆に利権などの癒着とも縁が薄く、公徳心を持って自立的に動いているならけして悪いとは言えない。官僚が本当に“悪”であるのかという部分でも疑問を持たなければならないような気がしている。
なぜ普段はマスゴミと言われる事があるテレビが揃って官僚批判をするのも疑問が残る。テレビというのは言ってみれば空気の発生装置と捉えてもいいものだ。

空気を主導している意識とは

山本氏は空気の作られる過程にはある種の論理的判断の積み重ねが有り、論理的判断基準と分かれている訳ではないとしている。
空気自体が発生する背景にはそれなりに納得の出来る一定の認識が形成されている。麻生批判は麻生総理の資質不足という認識、外国人のマナー批判は築地などの事実認識、官僚批判は渡りや居酒屋タクシー、作文などの認識、貧困問題は派遣切りに代表されるリストラや難民、企業の横暴、貧困ビジネスの認識が形成されている。

空気を基準とする際には積極的な意識の高さにより空気が形成されるのが好ましいと考えるが、空気が生じた時に高い意欲を持っている人は大抵少数派だろう。問題意識が高いという事は問題解決に対する能力もまた優れており、その時々の空気などで簡単に意識を変える事も無い。またその意識を持続させていくのもそれなりに大変な事だ。だから自然と意識の低い人々の空気の力が強くなる。

山本氏の著書に参考にしたりなどして考えていた事でもあるが空気を動かしている大半は不純な動機が多い事に気付く。他罰的、差別的、感情の性善的認識、相対性の欠如、主体性の欠如など個人の意識の低さに起因する事などいろいろである。

当たり前に人と話し物を買い生活を営むだけでも空気は生まれる。一見意味の無い事でも空気を発生させているのだ。

例えばある消費者が物を買う過程を例に考えてみる。
まず購入するお店をどこにするか考える。不便でも個人商店で購入するか便利な大型スーパーで買うか検討する。消費者にとっては当然商品が安く品質の高いものを望む。車でスーパーに到着してちょうどバナナダイエットの放送をしていたのでバナナを購入して帰宅する。

以上の例で発生した空気は気付くだけでも4点ある。
・1.便利さを優先する空気
・2.良い物を買おうとする空気
・3.流行に便乗する空気
・4.一定の手段を常態化する空気

それではこのような空気を発生させた為に起こる結果や影響を考えてみる。

事例1ではお店を選択する段階で大型スーパーで購入する流れが作られる。個人商店は地元の人間の購入が頼りで値下げ攻勢も難しく、品揃えも少ないと考えられる。大型スーパーを利用が増えれば小規模店舗は客を奪われ倒産してしまう。

事例2では消費者が物を選ぶ基準はまずか品質と価格になる。品質を取れば国産、価格を取れば外国産を選ぶ。国産を選べば日本の産業を支援する事にも繋がる、地元の物は地場企業の促進に繋がる。外国産の食品などは安く量的な満足度も高い。安い食品に慣れた人は国産食品に価格や量的にも旨みを感じず、品質を多少は排除しても良いと考えるようになる。食品偽装や中国食品で神経質になっている事があり、日本の企業は価格的にも量的にも品質的にも要望が高まり、企業体力を疲弊させるだろう。

事例3ではお店などで急激に品薄になる為に通常の消費者の購入を妨げる。安易に流行に飛びつく空気が醸成される。健康グッズは気軽に使って健康になれる物の消費が促進される。儲かる企業がある一方で悪徳商法も頻発させる。基本的に楽をしたい気持ちがあるので継続して続けられない為意味が無い事も多く、実質的な健康にも結びつかない。健康に対しての危機感をテレビで煽られている事もあり、安易に病院に駆け込む人が増え医療現場を圧迫させる。

事例4ではスーパーの消費や車が必要な物として常態化する。必要という意識が強まれば自動車業界や石油業界を下支えする事になる。消費の固定化が進むと産業の流動性や消費の分配が損なわれる場合がある。ある種の空気が常態化すると無意識に秩序としての役割を担う、知らない内に空気に従う人が増える事で結果的にその空気を支持する事になる。

最終的には各個人の目的と意識を強める事が良い結果に繋がり、不純な動機ではなく正当な理由によって考えて行動する事は、少なくとも我々が生きやすい空気を形成していくものだと考えている。しかし、正論ばかりでは世の中は生き難い。だから感情の通う温かみも必要ではないかと思っている。

私からすると大抵の空気とは妥協(怠慢や堕落とも)した精神の総体であると考えている。また特に何かをしなくても日常のちょっとした内的な判断でも空気を作る事に繋がっている。

精神的に独立した個人を気取る事は簡単に出来るが、個人的な感情で他者を排除する詭弁に用いられる事が多い。誰かから何かしらの要請をされた際にプライバシーや個人の思想の問題などと言って突っぱねる事などがそうだ。自らの望む空気(社会)を作るためには客観的な中立を保ちながら考え、行動していく事が求められているのではないだろうか。

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コメント

興味深く拝見させていただきました。

投稿: DANAX | 2009年2月12日 (木) 23時24分

DANAX様コメントいただきましてありがとう御座います。
また気になる事があれば不定期ですが何か文章を投稿しようと思っています。
またどうぞ宜しくお願いいたします。

投稿: ASH1803 | 2009年2月14日 (土) 07時10分

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