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2009年1月 3日 (土)

「頑張り過ぎない」重要性

やっとこさ年末年始の繁忙期終わりました。食品加工の仕事だったのですが、食卓においしい食事が出せるのもこのように懸命に励んでくれる方々がいるおかげですね。せかせかと働いている方にペースを合わせようとするとすぐに肉体的疲労が来てしまいます。いちいち指図や不満の言葉を頂きましたが、ペースを守りながら淡々とこなしていきました。

私は仕事に関しては「頑張り過ぎない」という考え方が合っている気がします。早い展開や変則的なことは苦手なので、遅くとも正確な対応に意義を見出した方が良いですね。

また仕事で始めから能力全開でいくと職場での「仕事が出来る」印象が強まりますが、長期的に見ると能率は徐々に降下していくでしょう。「仕事が出来る」第一印象ができた以上は職場の期待もあり、仕事の質は簡単に落とせなくなります。そして能率の低下を指摘されないようにと考える場合がある気がします。

「仕事は早いほど良い」と考える場合は有るでしょう。忙しい時期ならもちろんです。ですがその代りに正確さや安全性、丁寧さが損なわれている事も多々あります。遅いなりにちゃんとやれば評価される部分は十分あるのです。何事も豪快に全身全霊を持って精力を注ぎ込めれば問題は無いですが、挫けるとミスに繋がりますし、仕事によっては気を休める間もなく色々としなければならないでしょう。

私は仕事で能力のある人を標準的位置付けとし、そこから能率の悪い人を貶めては労働をたきつける行為自体は労働を要請する側の欺瞞と人をこき使う詭弁だと考えています。若いからと言う理由で力仕事を押し付けられたりするのも一つの詭弁だと思っています。

他者を罰したり、貶めたり、叱る(或いはそれを装う行為)と言う行為にはどのような感情が働くだろうか。年齢や能力的な優位を示す優越、指導している優越、周りに対して自らの働きを正統な行為として誇示する顕示欲、自らの欠点を装い隠して目を他に向けさせたい隠匿性、失敗を他者に擦り付けたい、能力面の差に関連して怒りたい、等でしょうか。実際の数字で検証できませんが純粋に指導したい感情は少数だと考えます。理由としては物事を本当に良くして改善しようと言う意識より利己的で堕落した意識の方が勝ると考えるからです。

福山雅治 缶コーヒーFIREのCMを見たのですが、「誰かを悪く言って、楽をするのはもうやめよう。」。この一言に気持ちを抉られる人は多いのではないでしょうか。私達が人を叱り罰する行為が実は独善的で不純な動機が多いのだと気付かされます。

このような発言を実際にする場合はある程度仕事をこなせなければ意味をなさない事もあるでしょう。場の空気によっては単なる不平不満や怠け者の戯言で片付けられてしまうでしょう。自由を唱えるにはある程度の責任を果たす必要はあるかもしれません。

だからと言って我々個人個人で何かしらの気持ちを抱くのは自然ですし、整理して考えるとおかしな事は沢山ある気がします。例えば分かりやすい色分けが出来る例ですが、政治家達の間で贈収賄が慣行化している“空気”が出来上がっていたとしても、その行いが正当化することは決してないのです。個人では逆らえない空気・・・、それ自体が誤っている事もあるのです。

仕事や必要な時で異なるでしょうが「頑張り過ぎない」を念頭に今年もやっていこうかと思います。自分に性分に向き合った方法で前進していくのが何事も長続きさせるコツだと思っています。

  

  

  

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