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2009年1月

2009年1月24日 (土)

クレヨンしんちゃん 『また! しんこちゃんだゾ』 考察 (2009年1月23日放送)

昨年の12月5日に放送されたクレヨンしんちゃん「謎のしんこちゃんだゾ」の回はYoutubeなどのおかげでネットで結構な反響があったようです。しんこちゃんの考察については当ブログでも以前にクレヨンしんちゃん 謎のしんこちゃん考察クレヨンしんちゃん 謎のしんこちゃん考察 追加補足などで紹介しました。

そのような事を知ってか知らずか、1月23日に「また!しんこちゃんだゾ」を放送されました。恐らくは「謎のしんこちゃんだゾ」だけではもとより視聴者に対しての説明や理解が不足しているので話題になる前から続編を作るという話はあったと思います。

今回のしんこちゃんで気になった点を以下に簡単な理由を付け加えて挙げてみます。

  • おもちゃの人形がひまわりのお気に入りになっている
  • しんのすけもおもちゃに興味を持っている(ムキになっているだけにも見える)
  • シロがひろしを起こした(しんこが来るのを察知して吠えたように見える)
  • 「ひまちゃんのパパですね」と尋ねる(当然と言われれば当然の気はしますが)
  • ひろしとしんこの会話中に画面が細かく切り替わる(何かあるとは考えにくいですが一応)
  • 「何年経っても同じ・・・」とひろしの人生を予見したような発言(リアリティーを出す為の偶然の発言とも考えられる)
  • しんこが推薦する店「ラベンダー」に案内する。(何か誘導する理由が考えられる)
  • 「ラベンダー」と分かりやすい看板が有りながら、ひろしは店名を覚えていない。
  • ラベンダー店主はイヤリングをしている(男性がしてもいいが少し不自然)
  • 「ひまちゃんはパパが大好きよ。」と先に告げる(確信的に言っている節があるため)
  • 「みさえさんだっておに・・・」という発言(呼び方でしんのすけとの間柄が異なるため)
  • 「おじさんだって3人の事好きでしょ」と発言(気持ちを確認するような発言)
  • ひろしが車に接触するのを防ぐ
  • 今回もしんのすけがいない間にうんち雲を発生後にしんこが出現し、シロと仲がいい

今回の回を見て気になる点をいくつかまとめると以下のようになります。(以下しんこを彼女と記述します)

ひまわり的な話題を中心に話を進める。

彼女の発言の主な内容には共通してひまわりが主としての内容となっています。ひろしと会話した時に「ひまちゃんのパパですね。」と言いましたが、「しんのすけくんのパパ」とは言っていません。ひまわりと多く接しているので当然といえば当然という気もします。

「ラベンダー」での会話についても「ひまちゃんはパパが大好きよ。」という発言をまず最初にしています。ひまわり本人であればこそ気持ちが分かるのであり、何度かひまわりと接した程度なのに彼女はこの事をどこか確信的に言っているような節があります。ちょっとした違いですが「好き」ではなく、「大好き」であると言っているのです。

ひろしは彼女とは初対面なのでひろしがひまわりと接する場面を彼女に見せた事はありませんし、ひまわりは言葉が喋れないので好きか嫌いかは態度やしぐさでしか判断できません。実はみさえが彼女に既に2度も会っていて、ひろしの使用している物を握って離さないなどの理由があれば別ですが、或いは野原家の生活を偶然目撃する事も考えられますが、基本的にひまわりがひろしを大好きと思わせる理由は彼女にはあまりありません。

また「お兄ちゃん」と言いかけた部分を「ひまわりのお兄ちゃん」と会話をつなげましたが、「お兄ちゃん」と言うのは家族か別の家族間で兄弟のような付き合いをしている間柄だからこそ言える言葉であり、面識も無く親しくも無いのにしんのすけをいきなり「お兄ちゃん」とは呼ばないでしょう。

「しんこ」は「ひまわり」か

やはり野原家の事情に詳しいのですが、先に説明した彼女がひまわりを中心に話を進める点や「おじさんだって3人の事好きでしょ」と発言したのは、野原一家の絆を確かめたような気がしました。その後「良かった。」と安心したのは彼女が家族の一員であるひまわりだからと考えると納得できます。数日間みさえやひろしと会話を重ねたからといって他人様の家庭を心配をできる人などそうそういないでしょう。

当初はなんの関係の無い冗談のように考えていましたがひろしがプレゼントを申し出た時に「ステキなお家一件。」と言った部分にも話がつなげることができるかもしれません。ステキな家=円満な家庭と考えるのは考えすぎかもしれませんが。

類似点としてはひまわり的であり、しんのすけ的でもあり成長したひまわりを見ない以上は断定はできません。個人的にしんのすけを相変わらず避けている点で現在のひまわりが成長して全く同じ彼女になるかどうかと言う点で引っかかています。今回の放送でも「お兄ちゃん」と言いかけた事もあり彼女の名前自体は「ひまわり」なのは間違いないとは思っています。

しんこは未来から来たか

しんこが未来から来たと言える理由には前回でしんのすけが部屋に入る直前にうんち雲が発生し、消えた事やひろしの事故を防いだ点、ひろしの人生を見ていたかのような一連の発言などがあります。ひろしの将来を予見したかのようないくつかの発言の一つ一つは未来から来たという説得力がありませんが全体として見ると未来を知っているように見えます。長期のローンが残っている事も知ってるようでした。

うんち雲は彼女が自由に出現や消えたりする際には必ず発生します。その点で自由に別の場所へ行き来する能力があると考えられます。野原家が生きている時代はそんな技術はないですし、来たとするなら現在より進んだ技術を持っている未来から来たか別の世界から来たと考えるのが自然です。それに彼女が野原家の内情に異常に詳しい理由も未来から来た事で説明が付きます。

彼女が過去から来た時間移動能力者であると仮定しても、その為に野原家の細かな内情を知るには個人で十分な下調べを行わないといけません。説明が可能な場合もありますが、整合性という点で無理が生じてきます。未来である事の方があらゆるSF的発想の可能性や問題点をクリアしてると思います。

別の未来をたどった世界から来たとすれば必ずしも未来とする必要はありません。しかし現在の野原家は恐らく存在していない気がします。また翻って別の野原家が存在しているかもしれません。でも少なくとも現在の野原家について詳しいのでこの線は除外できる気はしています。

しんことおもちゃの関わり

前回はしんことおもちゃの関わりがよく分かりませんでしたが、なにかしら重要なキーアイテムとして含みを持たせて終了しました。今回の放送でひまわりのおもちゃがお気に入りのおもちゃになっていることが判明しました。しんのすけも人形に興味があるのかムキになっているのか知りませんが人形に執着しています。

おもちゃについては別に気になるところがありまして、ラベンダーの店主がイヤリングをしている点が気になったのですが、前回ひまわりがおもちゃのイヤリングをしていたのを思い出いだし、暗喩的に「おもちゃ」の重要性を示唆したのかもしれません。このイヤリングが必ずおもちゃと限った話ではないのですが。

そのように考えるとラベンダーの店そのものもおもちゃ的な作りをしていますね。またひろしが彼女に対しておもちゃを買い与えようとした時に事故を防いだ点でもおもちゃの重要性はより強まるのではないでしょうか。前回でもみさえが「好きなおもちゃ良く分かったわね」といったり、おもちゃのみを表示する場面があったり、おもちゃの重要性は常に伝えられていました。

以降はYoutubeなどのコメントなどを見て気付いた部分ではひまわりのおもちゃは最後に出てきた絶滅動物のガチャポンが入っているのではないでしょうか。おもちゃを買いに行ってしまった為にひろしが事故に遭遇した場合があったかもしれません。

しかしひまわりのおもちゃが絶滅動物であると考えると少なくともひろしが購入後に事故に遭ったということになり前後がおかしくなります。

もしかするとおもちゃを重要視させる為の我々視聴者に対する小道具程度の役割だった場合もあるかもしれません。ラベンダーを訪れた事やしんのすけが居合わせたと仮定すると実際の順序が多少前後するのかもしれません。

前回では小道具的な意味でおもちゃを注目させる役割があったという気もしてきます。

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しんこが出現する背景・目的

前回にもしんこが意味も無く現れる可能性が少ない点について触れましたが、前回と今回の話の中で物語の中で最も意義のあることを考えると前回ではおもちゃ(人形)をひまわりに託すこと、今回についてはひろしの事故を防ぐのが目的だったと考えます。

彼女の背景を判断する材料として前回のさようならと言う言葉で目を潤ませた点や今回では中の良さを確かめたような点などを考え合わせると何らかの理由で将来的にに家族が別れる(生別か死別)ということがあるのかもしれません。

死別と言う事であれば今回彼女が事故を防ぐことができたのでもう出てこない場合があるかもしれません。それでもおもちゃが重要な役割を果たした訳でもなく、人形に意味を持たせるような表現をしていたのでまだ彼女が出てくる機会は用意されているかもしれません。

今回の彼女がひろしの事故を防いだことで彼女の役割は終わったかもしれません。ひまわりのおもちゃについては最後に出てきた絶滅動物と同じ物であると示したのならば、おもちゃを重要視させる必要もなくなります。

彼女がひろしを事故から救った事でひろしが死亡したかもしれない未来は自然と消滅する事になります(現在の野原家の未来と同化するとも)。彼女がひろしが死亡した未来から来たとするなら彼女の存在も消えてしまうでしょう。今回に限りひろしを救った後に雲を発生させずに彼女はいなくなりました。

無数の未来という空間と現在の時間という流れ(空間軸と時間軸と言うのでしょうか)で考えると少なくとも彼女が干渉した野原家と同じ時間の流れの未来からやってきたと考える事も出来ます。

彼女が憂いていたのは実はひろしが事故に遭う現実を知っている事に加えて、未来を変えた結果自分の存在が消えてしまう事を知っていたからではないでしょうか。

しんこがしんのすけを避ける理由

個人的にはしんこがしんのすけを避ける理由として考えたのがしんこ=しんのすけが同じ存在である為に一方を存在させるためか、未来への影響を少なくする為かと考えました。

理由としては無数の未来の可能性を先に示しましたが女のしんのすけもいるかも知れないという仮定や別の世界で同等の存在が会うことも危険が伴うだろうと考えた場合があったからです。未来のひまわりを見たわけではないので似ているからと言って断定できない部分もあります。

個人的にはしんこ=同一のひまわりと断定できない理由になっていますが、ひまわりの線が濃くになってきたのもまた確かな事です。

ラベンダーの意味合い

花にはもともと花言葉があると考えて検索したところ「あなたを待っています・期待・承認・優美・豊香・不信・疑惑・沈黙・私に答えて下さい」という意味があるようです。上記にて家族が将来別れる可能性を示しましたが、「あなたを待っています。」の意味があれば少なくともひろしが生きており、ひろしの側から出て行ったと考えることもできます。

期待と不信という相反するような意味合いは揺れる気持ち、疑惑であれば彼女の存在そのものが疑惑の総合商社です。花言葉自体は無数にあるのでこじつけ的に考えれば別の花でも説明ができるものも多いかとは思います。

またラベンダーを連想させる作品に「時をかける少女」があるようです。小説は読んだ事はありませんが、ラベンダーを想起させる作品として十分認知されているのであれば、彼女が未来から来た可能性を強める意味合いを持ちます。

クレヨンしんちゃんのSF的展開の可能性

クレヨンしんちゃんにはSF的な話の持っていく話などが結構あるようでクレヨンしんちゃん映画 クレヨンしんちゃん 伝説を呼ぶ 踊れ!アミーゴ!ではドッペルゲンガー的な話がありますが、この作品をざっと見たところ偽者は本人のソックリさんで出てきますし、偽装して身近な人間に近づこうとしています。彼女はひまわりとソックリではありませんし、もし前回入れ替わったのならばひまわりが何らかの動きをするはずなので可能性としては除外できる気がします。

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生まれることができなかった子供の入れ替わり(流産も含め)、を狙ったと言う話がありましたが、もしそうなら彼女が間接的な兄弟殺しを画策したということになるので可能性としては最も可能性が低い部類に入ると考えます。まぁ面白い発想ではあるのですが。

それ以外の通常放送でももし野原家以外の家庭に生まれたらと仮定した話があります。なし崩し的に野原家に生まれてしまうのですが、しんのすけはひまわりに後から生まれてこいと夢の中で指示、その間にみさえ達が寝顔を見ながらが生まれてきてくれてありがとうと感謝して終わります。

話の流れとしては「自分達が生まれてきて存在する奇跡」「生命の神秘」といった壮大な気持ちを喚起させるものでした。今回もそのような作品であって欲しいものです。

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クレヨンしんちゃんは時々リアルな現実を反映したりしてますが、そこまでグロい発想はないとは思いますが。アニメにて製作側の反乱のような事も有りますので可能性はまったくのゼロではないでしょう。そのような話でも少しは救いのある物語にしてるとは思うのですが。

その他にも気持ちの悪い話でフランス人形が出てくる話などもありました。乱暴に扱われてきたおもちゃたちがみさえたちに復讐すると言う話です。日本公共広告機構のCMを思い出す内容でした。

上記の「しんことおもちゃの関わり」に関わる事例だと思いますがしんこがおもちゃに宿った魂とか思念が具現化したものだとするならちょっと人形にしては自由に動き回りすぎで、説得力に欠けるのでこの線も薄い気がします。

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ターミネータからしんのすけを救うため未来から風間君が来る話(クレヨンしんちゃんスペシャル 6 (SF殺人サイボーグだゾ)やクレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶアッパレ!戦国大合戦・クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ!夕陽のカスカベボーイズのような例も有るのでタイムスリップや異次元、未来に迷い込む話は珍しくありません。

細かいところで気になる点は有りますがとりあえず、当面の結論としてはしんのすけ的な未来のひまわりで、ひろしを事故から救う目的で野原家に接触していたのではないかと考えています。

そしてそのかわりにしんこの未来は消滅(野原家と同化とも)してしまったのかもしれません。

クレヨンしんちゃんを教育に活かす試み

クレヨンしんちゃんを教育に役立てようとする試みもまた多いようです。海外でも人気の作品で中国語で“小新”(シャオシン)、そのままの読み方でShin Chan(シンチャン)と呼ばれて親しまれているようです。

最近見た記事でスペーストゥーン・メディア、インドで子供向けチャンネル放送開始と言う記事がありKMI(キッズ・メディア・インディア)の代表取締役サンガリ氏はスパイダーマンやクレヨンしんちゃんを教育に役立てたいとしています。

クレヨンしんちゃんは大人に取っては好ましくないと考える向きが少なからずあるでしょう。昔見た場面で性器を使ったゾウさんはやり過ぎではと思った事もありました。結果として元々自分の常識とかけ離れていた情報を戸惑いはしたものの肯定的に見られるようになったのです。クレヨンしんちゃんを見る子供を心配する親御さんも少なからずいたのは想像に難くありません。

子供に対して有害情報を見せないような試みがありますが、あえて臭い物に蓋をするより、ちょっと毒があっても現実的な側面や厳しさに慣れさせる方がよっぽど身になるような気がするのです。第一子供の基準に大人が合わせるなど無理があります。

大人になれば有害と呼ばれる情報に触れる機会は極端に増え、情報を整理しながら心の平衡を保っていかなければならないのです。そういった意味でもクレヨンしんちゃんは子供に見せるにはとても良い作品と考えています。

現実的に則っている所ではネネちゃんはリアルおままごとをやるキャラですが、ネネちゃんが結婚した時の考える回(クレヨンしんちゃんスペシャル 6 ネネちゃんのおムコえらびだゾ)では経済的側面や将来性などを考えています。結婚が恋愛感情だけでなく経済的な面や何らかのメリットを考えて結婚すると言うのはあながち間違っていないと思います。

クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ アッパレ!戦国大合戦では戦国時代に行ったしんのすけの目の前で武将が次第に息絶えていく様子を描いています。主人公達と楽しい時期を過ごした後に死んでしまうのです。作品を作る際に悲劇的な感情を高めるのに例えばガンダムとか戦争物だとパイロットが死ぬ直前に家族の写真を見ながら帰還を誓う行為の後に死亡したり、物語の長い期間を通して親近感を持たせた上で死なせるなどの手法を目にします。

ですがクレヨンしんちゃんはジャンルで言えばギャグ漫画です。ギャグ的な話の中にシリアスなシーンを入れる為に深みや面白みが増している部分もあると考えています。大抵面白いと思う作品は落差がある場合が多いです。例えば少林サッカーや北斗の拳のパロディー、子供向けの作品をリアルにするパロディーなど一般的な認識とかけ離れるほど面白かったりします。

みさえの妹にむさえというのがいるのですがこれがカメラマンの夢に挫折して野原家に転がり込んでくるのですが、無職で生活もだらしなく変に自由を気取った前向き発言といいダメ人間全開です。子供が見る作品に出すにはあまり好ましくないキャラと考える場合が有るかもしれません。

普通であれば仕事を見つけろ無駄飯食いだのとか言われて居候身分はよほど肩身は狭いと思うのですが、野原家は割りとおおらかに受け入れています。見ててダメな奴だなと微笑ましく思うのですが立場による差別的な意識を強める物ではありません。子供が見る分にはこういった人もいるのか程度の情報と中立的な意識はできるのではないでしょうか。

私にはやたらに現実離れした浮かれた気分を撒き散らしては情報を対処する能力を育てる機会を奪う方がよほど有害に思えてきます。親や大人が有害情報と言われる物をいつも排除していくことはできません。自主的で物事を考えるトレーニングとその為の情報を与えてくれる作品がクレヨンしんちゃんなのです。

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2009年1月14日 (水)

変な意味で面白いゲーム 「ドラゴンボールZサイヤ人絶滅計画 宇宙編」

「ドラゴンボールZサイヤ人絶滅計画 宇宙編」はプレイディア用ソフトで、全編アニメで進んでいくゲームです。一般的にはLDゲームと呼ばれるアニメーションにあわせて操作するジャンルです。低年齢向けなのでゲーム性は高くはありません。

界王様から地球の中心から急速にデストロンガスが発生した事を聞かされた孫悟空は仲間とともに地球を救うため暗黒惑星に向かいます。

    

    

この作品ではベジータが大活躍します。ただしヤムチャのような意味でですが・・・。悟空以外は台詞がほとんど無いのは同じなのですが、敵が出てきた時などの比較では以下の差が有ります。

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悟空の照準が焦点を合わせていき確実に命中するのに対して、ベジータの照準は画面全体を素早く動き回っています。おかげでベジータ様は哀れ醜態をさらしております。

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いつの間にか最終ボスに到着、ボスを倒します。ここでベジータはこんなポーズをとっています。まったく微動だにしません。気障なベジータらしい・・・のでしょうか。一体何をやってるんでしょうか。

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ボスを倒したかと思われたものの真ボス登場、悟空は元気玉を作り始める。そこでベジータがまたやってくれました。自ら攻撃を受け止め悟空を庇うツンデレ振りをアピール。あれ?でも何かおかしかったような気が・・・。ベジータの様子もちょっとおかしい。

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以上の内容で30分前後なので話のつじつまが合わないようなところや突っ込み所はありますが、知名度の高い作品で予備知識があるだけにより面白く感じられると思います。

     

     

     

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2009年1月12日 (月)

リアルなドラクエ あなたはどこまで進めるか?

ドラゴンクエストのモンスターって色々な種類がいますよね。子供の頃はドラクエ3のグラフィックや雰囲気が怖いと思う事があり実際に冒険しているような緊張感を持っている時期がありました。キャタピラーやこうもり男、アニマルゾンビ、腐った死体、さそりばちなどは怖かったです。そんな時期は既に過ぎてしまいましたが・・・。

でももし仮にファミコンのこのようなモンスターが現実に出てきたらかなり怖いのではないでしょうか?

この動画では実際にドラゴンクエストのモンスターのリアルな実物だったらどこまで先に進めるかという試みを行っており、擬似的なプレイ感覚を楽しむことができます。私はお化けきのこあたりで限界を感じてきました。さまようヨロイは剣術が上手くないと厳しいでしょうね。

後半は良い画像がないのか再現度が低いものもありますが、なかなか良いシーンもあります。あと笑いの取り方がちょっと直接的過ぎる気がしました。

実写版の格闘ゲームはわりとあると思うのですが、RPGはほとんどが想像上のモンスターですから実写的な表現は難しいのかもしれません。ただ魅力的なモンスターが出てくる作品は実写化にすると面白いだろうとは思いました。将来的にWiiみたいな体感ゲームでドラクエが出てくることを期待したいですね。




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2009年1月 8日 (木)

幸福に生きる為には何が必要か

企業は公的役割があることを意識して従業員の雇用を守り、生活を守らなければならないと思っています。全体の給与水準などを下げたり、労働時間を削減するなどで雇用を守る事もできなかったのでしょうか。

派遣切りは本当に不幸なのでしょうか。貧困が生まれた過程には正規雇用の代替としての非正規雇用が企業にとっては費用を抑えて状況により自由に労働者を集めたり解雇できる立場を利用し、それを派遣労働により促進させてきました。ただ非正規の替わりに正社員に対する企業の要求も高まっているので正社員であれば必ずしも幸せとも思えません。

テレビは派遣労働者が解雇された事で不幸や責任を煽るばかりですが、一方で労働者の姿勢にも問題がある気がしないでもありません。

貧困が叫ばれ、ネットカフェ難民やワーキングプアという言葉が作り出され、反貧困を掲げる団体や人々がよくテレビに登場するようになりました。しかし、一般から様々な市民活動を行う機運が高まってきたのは良い事と感じるが、これらの活動をネットやテレビなどを通じて見るが、あまり好意的に見ることができない部分がどこかにあります。

今の状況が悪いと考えれば悪いと思いますし、正社員になるのが難しくなったのかもしれません。給料が上がらないのに生活費ばかり上がっても困ると言うのももっともな話です。ある程度の批判があるのも正しいでしょう。

全てでは有りませんが、ただ好意的に見られない理由としては批判の対象を外に求めて窮状を訴えるものの、自分自身で内面を変えて生活を向上させる為に何かしようとしたかについて疑問があり、批判する対象を得る事で自分に対しての責任を回避し、あわよくば良い条件を得ようとしているように見えるのです。派遣村に集まった人々の中には弱者を装って利益を得ようとしている人々が含まれているように見えます。

助けを求めれば誰かが助けてくれるという甘さも見え、自分の力で生活を成り立たせるという意識が足りないようにも見えます。私にはこのような外への批難と要求ばかりが目立ちました。結局自分を救えるのは自分しかいないことに気付くべきでしょう。ただ生活を維持していくために改善しなければならない不十分な部分があるのも確かです。

昔学校で歌わされた歌で想い出がいっぱいという曲で「君はまだシンデレラさ~幸せは誰かがきっと 運んでくれると信じてるね 」という歌詞を前から他力本願的な事を歌っているのだな~と思う事がありました。

麻生首相が「悲観主義は気分によるものであり、楽観主義は意志によるものである」という言葉をわざわざテレビが取り上げていましたが、悲観主義については全面的に気分のみと言えないところはあるが、意識を変える必要性という点では納得できる。また彼らに志す目標や動機などが欠けているという事を言いたかったのではないかと思います。

長い人生を生きていく以上は気持ちを揺さぶられる事が多々あります。そのような事でいちいち小さく考え込んでしまっては身が持ちません。だから気持ちを切り替えたり、考え方を変えて気分を安定させる必要がでてきます。

現実的に不便に思うところでは部屋を借りるのにはお金や保証人も必要ですし、部屋を借りられなければ落ち着いた生活はできないと思います。保証の無い低所得者にも気軽に部屋を借りられるようにはしてほしいと感じています。

生活保護については受給しやすい状況を作るのと反比例して不正受給などの増加がすると思われます。必要な人々に適正に給付が行われるには適正な調査を進めるために、公務員の増員や制度の整備を必要はあると思います。

厳しい見方では有りますが元々自分自身に先に進んでいく為の動機や情熱みたいなものを形作れなければ結局は安定した立場や経済的な向上などは到底見込めないのだと思います。自分の可能性を信じるのは良いですが全く見込みが無ければ諦めなければならないかもしれません。

私が最も良いと考える方法でそこでお金を稼ぐ事意外に一番手軽にできることは自分の中の固定観念や問題点を徐々に変えていくのが良い方法なのだと思っています。自分にとって出世や金銭でないのであればそれほど雇用形態にこだわる必要は無いのです。

確かにお金がなければ生活はできないもののそれが不幸であると誰が決めたのでしょうか。勝ち組、負け組みなんて言うものは始めからありません。その言葉で賃金や待遇に多少の差がある労働者を争わせる目的があるような気がするのです。権力を持つ所ほど力なき人々が団結して真の問題に対して目が向くと困ることもあるのでしょう。

現実的な部分では生活するにあたり最も費用が掛かるのが住居費と食費が最たるものでしょう。この2点を重点的に削減する事で生活はかなり楽になると思います。

部屋を借りるなら東京ならNPO法人のもやいに入居の相談をしたり、保証人代行サービスや保証人不要物件もあります。家賃が高ければネットカフェや賃貸情報誌などで安い物件を探したり、部屋を共有するという方法も良いかもしれません。

食費が掛かるなら1食程度は食事を抜いたり、高いコンビニ弁当などは避けて自炊を行う事を考えるべきでしょう。私は節約のためカレーなどよく作り置きしていました。サバの缶詰やお餅、そばやうどんも金銭的に重宝すると思います。私の一日にかける食費の基準としては1日の食費を1000円程度と決めています。

公共交通機関は可能なら自転車を使う。可能なら職場は近い方が良い。娯楽については可能であればお金を浪費しない方法をとれば良いですね。その他生活用品などは必要な物だけを購入し100円均一などを利用する。また価格だけではなく丈夫で長期的に使える物を選ぶようにします。必要の無い物は極力お金を使わないようすればよいと思います。

ちなみに食費に関する記事でこのようなR25の記事の『年齢階級別1世帯当たり1か月の収入と支出(単身世帯)』(2007年度)の34歳未満の出費平均18万3901円の内、食費に4万6163円を占め2万5772円が外食であるということです。

何かにこだわり過ぎてしまうのは悪い事ではないですが視野を狭める事もあるので、別のところに目を向けたり、考え方を徐々に変えていければ不幸を幸福に変えていけるものと信じています。

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2009年1月 4日 (日)

クレヨンしんちゃん 謎のしんこちゃん考察 追加補足

いまさらながら謎のしんこちゃんの閲覧があるので、もう少し考えられる部分を書いてみます。

異次元から来た流産したしん子が入替りを狙って過去に来たと言う部分ですが、何も流産させる必要は無く本当は生まれて来たかった精子や卵子まで含める事が出来るのではと言う気がします。未来や異次元からという線も依然として強いです。

異次元に介入する理由として自分を存在させる為には現在のひまわりを排除する必要があるのですが、しん子は別次元のしんのすけ(名前はひまわり)として存在できているわけですから介入してくる理由はない気はします。また見直して気付いたことですが、しん子の含みのある笑みをひまわりがしたのは入替りを行ったとすれば意味を強める事は可能です。個人的にはこういった話の展開は場合によっては好きですが、恐らくみさえの子供(内情に詳しい為)の彼女が自分の保身の為に入替りを計画したとすれば色々とエグ過ぎます。後述していますが彼女の中身はしんのすけだと考えていますので入替ったとしたらしんのすけが無意味に2人になってしまいます。ただ実際に漫画版で野原家族が入替るという回は存在するので発想としては十分有り得る線でしょう。

時間移動が出来ると考えるのは彼女が現れたり消えたりする前後に必ずうんち状の雲が発生し、動作も見せずいつの間にか現れます。この点でタイミングが良すぎるので彼女が計画的に現れたり消えたりしていると考えます。

ひまわりに会って大丈夫でしんのすけと会うと何故だめかと言う点で、前回の考察同様に自分の存在を消すか干渉しかねない為しんのすけを意図的に避けていると考えますが、同一の存在として異次元にあっては彼女がしんのすけ(名前はひまわり)に相当すると考えられる気がします。性別が違うので別人と取れる場合もある気がします。

しん子は現在のひまわりと似た性質はありますがしんのすけの性質が強い気がします。主な理由にはオムツの場所や赤ん坊の扱いを知っていた事です。その他にギャグが同じだったり、しんのすけの綿アメなど有力です。ひまわりが赤ん坊の時のオムツの場所を覚えてるとは思えませんし、手際の良さは年長者として赤ん坊と接してきた経験が伺えます。しん子が赤ん坊と接する機会があるとするなら彼女に弟か妹がいると考えるのが自然でしょう。みさえが今後3人子供を産むわけでなければ恐らくはひまわり的な弟のしんのすけが異次元にいるのではないでしょうか。でも貴金属や宝飾品が好きなところはひまわりらしい(女の子らしいとも)と言えるのでやはり異次元のひまわり+しんのすけの合いの子でしょうか。

髪質の違いが気になったのですが、赤ん坊であれば髪質や色合いが違う事もあるだろうとある程度大目に見ることは出来ます。みさえの「好きなおもちゃよくわかったわね」と言う言葉も少し気になりましたが、ひまわりのおもちゃに対する意識の変化が見られないのでこの際無視します。

また何か気付きがあれば追加します。

※1月23日の「また!しんこちゃんだゾ」の記事を追加しました。よろしければこちらもご覧ください。

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2009年1月 3日 (土)

「頑張り過ぎない」重要性

やっとこさ年末年始の繁忙期終わりました。食品加工の仕事だったのですが、食卓においしい食事が出せるのもこのように懸命に励んでくれる方々がいるおかげですね。せかせかと働いている方にペースを合わせようとするとすぐに肉体的疲労が来てしまいます。いちいち指図や不満の言葉を頂きましたが、ペースを守りながら淡々とこなしていきました。

私は仕事に関しては「頑張り過ぎない」という考え方が合っている気がします。早い展開や変則的なことは苦手なので、遅くとも正確な対応に意義を見出した方が良いですね。

また仕事で始めから能力全開でいくと職場での「仕事が出来る」印象が強まりますが、長期的に見ると能率は徐々に降下していくでしょう。「仕事が出来る」第一印象ができた以上は職場の期待もあり、仕事の質は簡単に落とせなくなります。そして能率の低下を指摘されないようにと考える場合がある気がします。

「仕事は早いほど良い」と考える場合は有るでしょう。忙しい時期ならもちろんです。ですがその代りに正確さや安全性、丁寧さが損なわれている事も多々あります。遅いなりにちゃんとやれば評価される部分は十分あるのです。何事も豪快に全身全霊を持って精力を注ぎ込めれば問題は無いですが、挫けるとミスに繋がりますし、仕事によっては気を休める間もなく色々としなければならないでしょう。

私は仕事で能力のある人を標準的位置付けとし、そこから能率の悪い人を貶めては労働をたきつける行為自体は労働を要請する側の欺瞞と人をこき使う詭弁だと考えています。若いからと言う理由で力仕事を押し付けられたりするのも一つの詭弁だと思っています。

他者を罰したり、貶めたり、叱る(或いはそれを装う行為)と言う行為にはどのような感情が働くだろうか。年齢や能力的な優位を示す優越、指導している優越、周りに対して自らの働きを正統な行為として誇示する顕示欲、自らの欠点を装い隠して目を他に向けさせたい隠匿性、失敗を他者に擦り付けたい、能力面の差に関連して怒りたい、等でしょうか。実際の数字で検証できませんが純粋に指導したい感情は少数だと考えます。理由としては物事を本当に良くして改善しようと言う意識より利己的で堕落した意識の方が勝ると考えるからです。

福山雅治 缶コーヒーFIREのCMを見たのですが、「誰かを悪く言って、楽をするのはもうやめよう。」。この一言に気持ちを抉られる人は多いのではないでしょうか。私達が人を叱り罰する行為が実は独善的で不純な動機が多いのだと気付かされます。

このような発言を実際にする場合はある程度仕事をこなせなければ意味をなさない事もあるでしょう。場の空気によっては単なる不平不満や怠け者の戯言で片付けられてしまうでしょう。自由を唱えるにはある程度の責任を果たす必要はあるかもしれません。

だからと言って我々個人個人で何かしらの気持ちを抱くのは自然ですし、整理して考えるとおかしな事は沢山ある気がします。例えば分かりやすい色分けが出来る例ですが、政治家達の間で贈収賄が慣行化している“空気”が出来上がっていたとしても、その行いが正当化することは決してないのです。個人では逆らえない空気・・・、それ自体が誤っている事もあるのです。

仕事や必要な時で異なるでしょうが「頑張り過ぎない」を念頭に今年もやっていこうかと思います。自分に性分に向き合った方法で前進していくのが何事も長続きさせるコツだと思っています。

  

  

  

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