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2008年12月27日 (土)

相対的である事について考えてみる

最近は年末の仕事で忙しいので更新が滞り気味です。

最近は人の痛みを理解する余裕がなくなったのか、他罰傾向を強める人が多いように見受けられる。有名人や議員などの失言や失態などをことさら問題かのようにテレビで取り上げたり、当人のブログなどに怒りや叱責のコメントが殺到したり悪いところばかり強調して批判することがある。

このような人達は何が足りないのだろうか。まず思いつくのが、人の良い所を褒める姿勢、相対的に物を見る姿勢ではないだろうか。

政治家や要職にある人々は立場柄言葉には気を遣う必要はあるだろうが、元々何事も完璧な人もそれほどいないだろう。自分達の身に置き換えてみれば例えば仕事での失敗をしつこく周りの人間にとやかく言われる状況があれば、何でそこまで非難されなければと思うだろう。そして批判する側は大抵は失敗した当事者の立場を理解をするつもりはなく、思い遣る余地も無い。発言の責任も伴わない。あるのは単純な揚げ足取りばかりだ。いちいちこのようなことを取り上げられては次の段階に進むこともままならなくなる。

「相手の失敗を是正する為の正しい行為」と反論する方もあるだろうが、この辺も正しい行為とは言いがたい。立場としては相手を叱ってあげているというわけだ。

叱るという行為が相手にとって為になる事などはそんなには無いだろう。真面目な人か従順な人なら失敗を改め自分の身にするだろうが、怒りばかりぶつけたのでは不満が高まるだけで意味が無い。本当に失敗した相手のことを考えるなら後の成長に繋げる様にするからだ。不器用でも善意で叱っている人もいるのだろうがそれに紛れて叱っている風を装って実はストレスをぶち撒きたいだけの人も多数いるような気がする。

一方で必要とされるのは良い所を褒める人だろう。やはり褒められると嬉しいもので、嘘であっても嬉しい事がある。存在意義を失いかけている人には効果的ではないだろうか。

相対的という言葉が使われることがあるが、相対の対義語は絶対だそうな。絶対と言う言葉の雰囲気には他を寄せ付けないそれ以外にはない無二であるといった印象があります。何か特定の状況に執着しこだわりを持つのは「絶対」という気持ちがあるからでしょう。

対義語の相対となれば逆に特定の執着やこだわりを持たず、幅広い物事を表し、また極端に陥らず平均的な見方を与え、一局面ではなく関係性の中で物事の位置づけを示すといった印象を持ちました。

例えば宗教狂いの人を説得しても無駄なのは信仰の対象を絶対視しているからで、実は他の宗教と比較して霊感商法的側面が強い場合。仕事で個人的に嫌いな相手は能力をあまり評価しないが、職場全体として見れば仕事の能力が劣るわけではない。

要するに特定の感情を占めている為に他の部分で正確な判断能力が損なわれている事は無いだろうか。その理由は一般的イメージ、個人的な感情や規範意識、特定の場の空気などあるんじゃないだろうか。

余計な感覚を排して中立的に考える姿勢を心がければ物事の本質ももっと見えてくるのではないだろうか。

以上何にしてもはっきりとした理由付けがあるわけではないですが、思考方法を変えると気持ちが楽になる事も多いと思います。気持ちが安定しない時それは何かに執着しているからではないでしょうか。

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