2009年6月19日 (金)

児ポ法、ゲーム規制、守るべき物は何か?否定的語感による誤解

ネット上でこれは痛いと思わせるニュースなどを取り扱っている『痛いニュース』にてこのような記事を取り上げている。
学園モノ・妊娠・人外も?陵辱系だけにとどまらない「エロゲ規制」

18禁ゲーム、エロゲーなどと呼ばれている性的描写のあるゲームなどの事で、あらゆるジャンルの物が発売されている。このアダルトゲームの審査機関のソフ倫という団体が上記のジャンルを規制の対象にしようとしている。
関連する話題としての詳細では下記のリンク先のほうが詳しい。
特集 それって本当に、子供を守るための規制ですか?

しかし、この種の作品の規制の筆頭としてよく名前の挙がる野田聖子議員の勉強会に行った人の話では以下のような内容になっている。児童ポルノ法案による作品の規制があったり、今回の件と同様に考えるものだろう。
何がおかしいのか少し考えてみたい。

凌辱ゲー全規制対策 政治系対策本部7

249 名前:名無しさん@初回限定[sage] 投稿日:2009/06/14(日) 18:56:22 ID:BsMKOzOJ0
詳しくは書けないけど。いわゆる規制派の集まりに顔出してみた
次はとくに制服や学校や野外での性行、
その次は結婚してないカップルの妊娠や不倫ものをターゲットにしていくらしい
最終目的はエロゲを根絶して、それを実績にして
エロゲの次は漫画を規制していくらしい。聞いてて吐きけがした。
本当は凌辱ものの規制で簡単に膝を屈してはいけなかったんだけどな
何で日本や漁業団体がが何十年も捕鯨反対にこだわるか考えろよ
捕鯨禁止が完全に達成されたら次はマグロやその他の魚が
またやり玉に挙がるに決まっているからだろ。

エロゲ業界人の愚痴 その94

58 :名無したちの午後:2009/06/13(土) 21:56:01 ID:8Gh0kDS20
既に野田の勉強会は、陵辱系ゲームに留まらず、18禁ゲーム、暴力、殺人描写のあるゲームやアニメ
の規制案も作って居る。済まんが特定される危険が有るためソースは出せん。ただ、コレは事実
純愛厨にも危機感持って貰えるよう、一つだけ規制案を挙げると
所謂、中学、高校を意識させる様な「学園」「制服」系統も規制視野に入ってる。
規制内容としては、学園内でのセックス描写、制服含んだセックス描写なんかが全規制対象になった。
無論、パンチラ、乳首の描写も規制対象。
無論これは「今のところ」18禁ゲームのみの対象だが、ゆくゆくは、少年誌や少女誌のそれらも規制対象になる予定。
今のところ助かっているのは、自民と民主での児ポ法内容が対立しているのが唯一の救い。
これが議員立法とかで通れば、後は総崩れで2次元物に全規制がかかる。

児童ポルノ法案、語感に潜む落とし穴。その実態は

性的なものが苦手な人にとって性的嗜好が理解しがたい面があるのは間違いが無い。私自身もアニメや漫画、ゲームが好きだし、(玉石混交なので一括りにするべきものではないが)性的描写を含むものも好きな物がいくつかある。それでも未だに理解したくない嗜好もいくつか存在する。

理解がない方々がそれを見ればどうしても軽蔑したり偏見を持たれるのは仕方が無いところがある。しかし、そんな個人の主観的イメージがあったとしても絶対的に悪いと言うことにはならない。個人の価値観に合わないだけで排除する理由にはならないし、人に迷惑をかけていなければ問題にもならない。
排除や規制しようとする一般の人には嫌悪感で動いているのがほとんどといって良い。そうでなければ特定の団体との利益関係などで動いている可能性が高い。 その理由は簡単で反対する主張に正当性がどこにもないからだ。

通常なら“子供の売買春=犯罪・社会に対して悪”でなければおかしい。しかし、規制派はこれが“性的嗜好→(或いは=)犯罪・社会に対する悪”となっている。要するにすぐさま犯罪者か犯罪者予備軍的扱いという論理の飛躍が起こっている。
ユニセフが主張しているのは実在の子どもの人権であって、規制により創作された作品のキャラクターの人権や待遇改善をして一体なんになるのだろうか?ユニセフが出る幕は本来無いはずなのだが、“子どもポルノ”“児童ポルノ”など類似の単語の乱用がいかにも関連性があり、犯罪を助長しているかのような誤解を招いて理解を難しくしている。

「何故排除しようとするのか?」という本質的な疑問に対して明確な回答をする人は議論の場ではいない。多いのは個人の嫌悪感に起因する偏見(キモオタ・病気など)の感情論を言う人が多かったのも中身が無い事を裏付けていると言える。万人に対して具体的な効果すら想像できない規制などどれほどの効果があるものか。逆に経済的、娯楽的、製作者的、もっと言えば治安的にも有益な事の方が遥かに多い。

このような規制推進する人々は意図的に性的嗜好やセックス産業、引いては広く創作活動に対して一般的な偏見と言葉遊びを利用して規制を推進しようとしているのだ。

性的嗜好の差別的否定

“実際の成人の男女が結婚、子供を作り幸せな家庭を作る。”それが正常で健全な関係だと言われればそれは間違っていはいないだろう。しかし、生涯で誰しもパートナーを見つけられる保障はどこにも無く、同性が好きな人もいるし、結婚を望まない人もいる、幼女や少年しか愛せない人もいる。実在の人間を愛する事すらかなわない人もいるのだ。
それでも抑えられない性的欲求が誰にでも存在して、現実に満たされないから代用品を用いては、妄想を膨らませて欲望を満たす。名も無い人々のささやかな楽しみになっている。
これは極めて自制的な理由であり、犯罪に結びつくというのは数字から見ても早計である。

いかがわしい団体日本ユニセフ協会

日本ユニセフ協会は「なくそう! 子どもポルノ」運動を展開しているが、“児童ポルノ”と“子どもポルノ”の定義が違う上に、直接は売春が行われる“子どもポルノ”は数字としては実数は圧倒的に低いにもかかわらず、実態のある売買春と性的描写の有る作品を結びつけて、関連する作品を規制しようとしているのだ。

またこの日本ユニセフ協会と言うのは本体であるユニセフ(国際連合児童基金)から直接信託されている団体ではない事、25億のビルを新設したり、活動経費として25%留保できることからユニセフの名を借りた営利団体としての側面が強い。

政治家がユニセフと共謀して、無関係な善意の人を巻き込んで利用しているとするなら信頼を裏切る背信行為だ。ユニセフの主張により児童ポルノ規制に対する一般の理解が曖昧になってしまっている点は見逃す事が出来ない。

野田議員については「振られた男性議員の腹いせにやっているのではないか?」とか掲示板にて言われていたが、真偽はともかくマンナンライフのこんにゃくゼリーの対応にしても政治家としての判断が一般人以上に信頼できない事は既に露呈している。
普段の審議であれほど話が進まないのに、内容に問題があったり、批判の多い法案に関しては異常な行動力と執着心を見せる政治家とは何なのだろうか?

このような規制には一般作品の規制も視野に入っているので性的描写などの有無などは無関係に創作された作品を楽しむ事が好きな方は署名TVなどで署名されるか、規制を推進している議員を投票によって落選させるのが賢明だろう。

青少年保護の観点からしても異常

とかく子供には有害情報に触れさせない方が良いという考え方がある。しかし、性的表現のある作品を除いても有害な情報は至る所にある。テレビなどは子供に限らずその最たる物の一つだ。書店に行けば無数の雑誌が置かれている。インターネットで色々な情報を引き出す事が出来る。氾濫する情報を隠し通すことなど不可能だ。規制して取り締まる事自体がナンセンスな話だ。
年を取れば子供だって大人になる。大人になれば子供に見せられない事をするのは当然だ。それなら将来触れる事になる沢山の有害情報とやらに慣れさせるた方が遥かに有意義で簡単な事だ。

どうして自分という人間が存在しているのか考えてみれば、性的行為によって人間が生まれたと言う事が分かるだろう。そうなると子供がいる家庭で子作りをする場合は、子供の目を考えて一切性交を断つか、子供がまったく目の触れない場所で性交をしないといけない。有害と言うのならば全方位的に気を配る必要があるはずなのに、性的な創作作品ばかり狙い打ちにするのは変な話だ。

変態的な作品や嗜好であってもそれらは住み分けを考えて販売されている物で、現実の売買春とは違い仮想的な妄想を追体験しているだけに過ぎない。アダルトビデオなども仮想的追体験と呼べるので行為としては全く変わらない。

性的嗜好・変態性は悪い事ではない

性的な話は口に出して言い出しにくい恥ずかしい事だと言うのは理解できる。悪く言う人もいるだろう。しかし、罪を犯したとかと言う話ではないのだから萎縮してしまう理由などまったく無い。いくら批難されたところで中身の無い感情論以上の事は言われる事は無いのだ。自分が必要と思うからやってるわけだから無視して構わない。 人それぞれ色々な違いがあって当然だ。 変態的行為と思われてもやってることは単なる自慰行為に過ぎない。

極端な仮定の話

健全な話しか出来ないとなると創作の分野は終わってしまいます。あらゆる不健全が排除され規制されると仮定して考えて見ます。例えば勇者達が悪の魔王を倒す話があるとしましょう。 (少し不真面目ですが)

・暴力的な行為が出来ないので、剣で斬ったり、流血表現はありません。

・性的なシーンが駄目なので女性は出てきません。女性を出さない変わりにキャラクターはみんな男になります。肌の露出は性的欲求を感じさせるので全員に肌を見せない衣装を着させます。もちろんサービスカットなんてありません。

・美しいキャラクターは性的興奮が刺激されるので顔はみんな不細工になります。登場モデルは全国の日本国民からアンケートを取り最も性的欲求を満たさない不細工な顔のモデルケースを設定します。

・敵との対決シーンは長期化すると読者に苦痛な描写が増えるので簡潔かつ1ページで終わらせる事、なので新しい敵キャラでも簡単に決着がつきます。

・健全な書籍には必ず教育的側面を盛り込む事が義務付けられます。ですので親孝行で母親に対して「平和を守る為に戦争もしないよ、自衛隊も核も持たないよ♪」言うてる息子(子供はNG、顔は不細工)を出します。教育的側面を作品に絡める必要もあるのでとりあえず親孝行な息子を勇者にします。

・暴力的シーンが描けないので戦闘は頭脳戦か説得して和解する事になります。なので勇者は魔王にチェスの勝負(スポーツ等も可)を申し込みます。

・魔王は簡単に説得に応じませんので説得を済ませてから出ないと勝負が出来ません。頭脳戦が可能ですが魔王も人格を持っています。不健全に欺くことなく魔王の心が傷付かないように穏便に説得します。

・チェスに勝った勇者は倒した魔王が改心したのだと信じてもう戦争をしないよう約束をしましたが、数日するとまた人々を襲い始めました。穏便な戦いと説得を武器にまた勇者は旅立ちます。裏切られても相手の善意を信じて信じて信じまくります。相手の善意を信じられないのは不健全です。人と人が信じあえる関係は素晴らしいのです。

相当極端ですがこんな話は成り立つはずがありません。極端に規制されれば通る話も通らなくなる事もあるでしょう。 人物背景や設定などは物語を機能させるために必要な事もあるかもしれません。華が無いと面白みに欠ける場合があるでしょう。
例に出した暴力的表現の規制もどこかで聞くような話だと思いますが、極端になるとスポーツや格闘技を取り扱った作品はまったく取り扱う事すら出来なくなります。リアルな劇画作品なども出す事は出来なくなります。

対岸の火事ではない?創作分野の危機

一般の作品でも色気の有る作品はあります。曖昧さを利用して拡大解釈を進めては規制を強める可能性が強いのでこのまま行くと日本の創作分野は壊滅的な打撃を受けることになるでしょう。
どんな作品でも創作する事は相当な時間と労力を必要とするものです。それが明確な理由なく安易な規制で創作の妨害をしていいものではありません。
一連の規制運動は一部の人々の問題ではなくアニメや漫画など広く創作分野に対しての規制を進めていると考えるべき事柄なのです。 創作作品にまで規制が及ぶのはあまりにも短慮で行き過ぎた行為です。

その他参考
反ヲタク国会議員リスト
署名TV:同人ショップやゲーム販売店に過剰な自主規制をせず多様な作品の販売を求める請願
署名TV:架空創作表現規制禁止の法制化を求める署名
保坂展人と語る、マンガ規制・ネット規制の今(1)

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2009年6月15日 (月)

GACKT ニコ動にて作品公募受諾、どのような結果になるか・・・

GACKTがニコニコ動画にて4月の生放送に引き続き、先般6月10日再度登場した。TV番組などで紹介されたり、著名人の出演が多くなった物のまだどちらかと言えばまだアングラなイメージのがあったので、正直彼が登場するのは驚いた。しかし、彼は見た目以上に硬派で魅力的なキャラクターであり、当初のイメージを改める気になった。
4月の生放送の様子を見てから私のGACKTへのイメージは180度変化したと言ってよい。

当初持っていたGACKTのイメージと言えば何やらキザで無口、ビジュアル面ばかりのミュージシャンと否定的に捉えていた。 トークもあまり上手ではなさそうな雰囲気があった為に見損ねていた所もあるのかもしれない。
今年でソロデビュー10周年になるそうだが、Youtubeなどで過去の番組などから彼の人柄を見てみるとそう言ったところばかりでもなかったりする。
持っていたイメージ以上に中身がしっかりしているし、笑いも芸人並みに心得ている。彼の持っている人柄と見た目のギャップ差もあって面白い。武道の心得もあり、自身を磨く事に対しても余念が無い。
役者としても優秀な感じで、何をやっても様になる。剣を振り回している場面や、馬に騎乗している場面は役者の範疇を超えた物を感じさせる。型にはまらない精力的な活動にも好感を持つ。
何に対しても線引きをせず真剣に取り組む姿勢を崩す事が無い。

過去のテレビ出演などを比べて見ると初めはどこか不器用な中にも人を楽しませるセンスが見られる。最近の番組ではトークは目に見えて上手くなってきているし、笑いのセンスも健在の様だ。ホントに何をやっても面白い。何をやってもカッコいい。見比べると全て同じ人物とは思えない。

ミュージシャンなのにキャラクターから好きになると言うのもおかしな話だが仮面ライダーの曲(『Journy through the decade』?)を聞いてみると勢いがあって結構好きな感じの曲だった。
ニコニコ動画で偶然にもGACKTの人柄を知る機会があり本当に良かったと思う。これからが(ファンにとっては以前からだろうが)楽しみなアーティストとして期待していきたい。
再登場がかかっているだけに中途半端な作品で怒らせてしまう不安はあるが、どんな作品が送られてくるか楽しみにしたいと思う。

バラエティー番組

2001年(2002年のトーク番組の話をしているので)

近年

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2009年6月10日 (水)

別の概念を受け入れる必要性

人が生きる意味は始めから存在しない。生物学的な種の繁栄と存続や宗教的に考えれば意味はあるのだろうが、これも後付けで人間が作り出した概念に過ぎない。生きている中で様々な事に努力して、没頭する事で価値のあることを見出しながら生きていく事になる。

人生を生きる上で必要な物は一言で言えばほとんど“快楽”に集約されると思う。その先に楽しい事が待っているから人は生きていける。無くても別に生きていけるが快楽を得られる希望を失った人は長い人生の中で途方も無い絶望感をいだきながらすごす事になる。

私自身が実践できているかは自信が無いが実は快楽を得られる事は見つけることが出来る。いつも通る道端に花が咲いて綺麗に思う、晴れた日に気分が良い、いつも使っている物を別の物に変えてみる、普段と違う事をやってみる、自分にとって色々な引き出しを作って楽しい気持ちを絶やさないようにすれば人生は豊かな物になるだろう。

人生が幸せそうな人と不幸に思っている人の違いはこの引き出しの数と、許容量、物の入れやすさ(吸収力)などの違いではないだろうか。何でもない事を楽しいと思う人もいるのに、人間関係や貧困で思いつめて自殺してしまう人もいる。
好きな物があるなら追求していけばよいが、思ったほど気持ちが満たされないことがある。満たすためには色々な物を入れる必要がある。

生きていく基本は勉強にある。違う考え方や知識を入れたりしながら、新しい発想やアイデアを産み出したりして生きていく。喩えれば欠陥の有るパソコンと言った所だ。パソコンは使っていく中で色々なプログラムをインストールして利用する。利用していくと欠陥が頻発するので整備が必要だが、新しい物を作り出せる可能性は常に持っている。
でもまずはパソコンに何か入れることが出来なければ始まらない。無から何かを創造することはできない。既存の物を活かして創造を繰り返すのが普通だ。

別の考え方を拒絶する人はよくいる。正当な理由があり考え方を退けるならまだ分かる。しかし、ただ押し付けのように感じ不快だから、自説を曲げたくないから、嫌悪感があるから、と何でもかんでも感情論で退けることしかしない人に対しては機能不全を起こしているとしか言いようが無い。ハードディスクに不良セクタが発生しているようなものだ。

拒絶する事ばかりでは何もはじまらない。新しい概念を受け入れるだけの下地を作っておくのは誰にとっても損な事ではない。許容できるように物事を吟味する事も覚えなければならないだろう。

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2009年6月 3日 (水)

確かな信頼を備えた情報とは

先日、Youtubeで少し面白い動画を見たので関連して情報の正確性について触れてみたい。

QVCというショッピングチャンネルで平賀さんがイタリア製の保証書(証明書?)がないことに対して怒っている。
確かに安っぽいし、映像では光沢などは嘘臭い演出でゴールドカードなんて何の証明にもならない。

しかし、実際にイタリアの証明書と言う物が付いていたらそれが本物であると言う証明は誰ができるのだろう。
訳分からんイタリア語でいかにも権威がありそうな認証マークでもついていたら騙される事もあるだろう。
写真を添付したところで画像編集や関係のない画像を使うことも出来る。結局証明するには製造工程をわざわざ調べ上げるしか方法はないわけだ。

信頼性を演出している商品などは農業生産者で実名や写真を乗せたり、リフォーム業者のチラシでは担当者の似顔絵を乗せるなどして信頼とそれを補う親近感のようなものを演出したりしている。その他にも色々なマークが付けて分かりやすく良いイメージを持ってもらおうとしている。かといって商品の品質の証明になるかと言えばそうはならない。
偽造する余地は生産・流通や宣伝などにもいくらでも存在させられる。

商品を購入するのはその時のイメージを優先して購入する場合が圧倒的に多いだろう。それはサービスや食品などでいちいち十分な確認をしながら購入する事など現実問題難しいからだ。
いい加減な物を売っていいとは思わないが確かな証明が出来ない以上は不確かな面で信頼性を補うのはしかたがないところがある。

 

その他情報媒体などについて

情報には当事者達が直接的に関わる一次的な情報とそこから人づてにあらゆる手段で入ってくる二次的な情報がある。私達の周りには色々な情報が溢れているが情報の確かさは実はあるようでない。
誰もが一次情報に触れる機会があればよいのだが世の中で見聞きするあらゆる情報、新聞・インターネット・書籍などほとんどは他者の仕入れた情報を色々なフィルターを通して得ることしか出来ない。その情報をより確かなものにするのは受け手の知識と判断能力、情報がどこから入手されどのような団体や機関、著者から出されているかなどの信頼性に掛かっている。

インターネットがない時代、主要な情報源としてテレビや新聞が機能していた。しかし、現在は信頼を損なう姿勢しか見られなくなり、かつての信頼は失墜した。これはネットの台頭のみが問題ではないと思う。それは得られる情報が限られていた為に無条件の信頼に胡坐をかいていた企業側の見通し不足もあるだろう。

実感として説明できないながらもテレビや新聞は主要な情報源としての価値があると漠然と思っていることがあった。そんな目に見えないあやふやな信頼にこれまで支えられてきのだとしたら、現状の信頼不足は致命的だ。
どの番組を見てもバラエティー色が強くなり、確かな情報を期待を持てるのは辛うじてNHKぐらい。政治に関してはとっつきやすさは増したものの、まるで見世物のように軽くなってしまった。一般の関心も観客のように軽薄な意識を蔓延させてしまっている。

情報は確かな情報と培われた信頼こそを味方にするべきなのは言うまでもないだろう。不確かな情報など価値があるはずがないからだ。たった何度かの偽装や捏造により築かれてきた信頼を放棄するのは意味がない。

私たち自身も数ある情報を振り分ける能力が求められている。不確かな物に価値を見出すのは良い事もあるので一概には言えないが、印象だけで物の良し悪しを決めずに、実質的で確かな部分にも目を向けて見ても良いことも多いのではないだろうか。

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2009年5月19日 (火)

新型インフルエンザによる休校 一体何のための休校か?

日々日本の新型インフルエンザ感染が増加していく中、水際対策の時期も過ぎ、感染拡大を防ぐ段階に入ってきた。大阪・兵庫の小中学校、高校などは同県の感染者増加を懸念して休校が相次いでいる。
しかし、この臨時休校がまったく意味がなくなっている。休みをもらった小中高生が街に遊びに出ているのだ。一体何の為の休校なのだろうか。

繁華街、目立つ中高生=「自宅待機」徹底されず-一斉休校の生徒ら・大阪、兵庫
「感染したら自業自得」。新型インフルエンザの影響で一斉休校が続く中、大阪府や兵庫県の繁華街では19日、普段の平日以上に中高生らの姿が目に付いた。自宅待機が徹底されない状況に、両府県の教育委員会は「ほかの人にウイルスを感染させないことが目的。『自己責任』は通用しない」と呼び掛けている。
若者が集まる大阪・ミナミのアメリカ村。友人と待ち合わせをしていた大阪市立中学3年の女子生徒(14)は「地元でも外出している友達をよく見掛ける。家でおとなしくしている子は少ない」と話す。体調不良で欠席している同学年の生徒が20人以上いるというが、「手洗い、うがいをすれば大丈夫だと思う。感染したら自業自得という感じ」と笑った。
同日朝に休校を告げられた専門学校の男子生徒(18)は、友人と制服姿でカラオケ店前で開店待ち。「一斉休校でも結局、友達と会うから意味がない」と話していたが、カラオケ店員に「休校中の学校の生徒は入店できない」と断られ、「一時間待ったのに」と嘆いていた。
JR三ノ宮駅(神戸市中央区)前の繁華街を歩いていた高校1年の女子生徒2人=いずれも(15)=は「ちょっとその辺なら大丈夫かなと思って」と悪びれた様子はない。「外に遊びに行く子は半分くらい。ブログを書いたりDVDを借りて家にこもる子もいるけど、家にいても暇過ぎる」。休校中の生徒でも入れるゲームセンターを探して立ち去った。
学校側は家庭訪問などで在宅確認しているが、大阪府教委は「高校は通学区域が広く、連日の訪問は不可能。両親が働いている家庭で、外食に出ることまでは止められない」と頭を悩ませている。

感染力が強く、若年層に広く拡大すると言われており、感染拡大防止において休校は最大限効果を発揮する方法であるのは言うまでも無い。しかし、家庭と子供たちの危機感が薄い為にかえって蔓延を拡大させている。

現在のところ弱毒性で過剰反応だと見る向きもあるが、最も心配されるべきは感染拡大による変異だろう。タミフルに耐性をもつ場合や強毒性に変異した場合の緊急性は計り知れない。感染が広まっていくほどその脅威に至る可能性が形作られるのは想像に難くはない。今後の感染者増加により経済的にも医療的にも迅速な対応を迫られることになるだろう。

学校側は社会的責任と面目を守る為に休校させるのは当然だろうが、学校側が行動を制限するにも限界があり、学生ひとりひとりに対しての有効な活動制限には殆ど至っていない。
ウィルスの感染に対しての危機感がないのは仕方が無い部分があるにせよ、ウィルスにまで自己責任論を持ち出すのは論点がずれすぎている。ウィルスが意思を持って広まっているわけではなし、感染したくてなるわけではないのだから自己責任ではないのは普通は分かりそうな物だが・・・。

もし事態が深刻化した際には小中高生らの行動などで責任の所在を問う声が出てくるかもしれない。これで子供が死亡したとなれば、学校の対応が徹底していない、行政の対応悪い、医療機関の対応が悪いなど親達からまた身勝手な責任転嫁が起こったりしないだろうかと少し心配している。

時に“個人の自由”という発想は集団的行動の一貫性や集団のまとまりを著しく損ない、周囲に迷惑を掛ける行いに繋がる事を留意しておきたい。

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2009年5月14日 (木)

とらドラ!視聴後の感想など

当初この作品について全くの知識がなかったのだがニコニコ動画で見たインコと女の子(櫛枝)の動画のインパクトが強かったので、アニメ作品に興味を持った。実際にその印象を裏切らない出来だった。
前半の明るいムードから変わって後半は少しばかり修羅場を迎える。常に明るい櫛枝の態度の変化は緊張感を高めていった。

個人的な人物に対しての印象や短評

とらドラの登場人物にはいくつかの人物設定がされているが、主として作品の中核をなす人物設定はないように思う。豊かな人物設定を作る上で数ある設定の一部か後々の伏線を張る保険的な意味で利用されているのではないだろうか。

展開について
青春時代の愚かさや未熟と向き合い、将来を選択していく大事な時期が高校生活だ。大学に行けば猶予期間が得られるものの、脆くも甘酸っぱい感覚というのは多くの人々が体験する高校時代において最も共感を得られる時期だ。学生時代と恋心の締めくくりとして“本当の気持ちから逃げない”“人生を逃げない”といったメッセージとして最後に繋げている。
学生時代を舞台にした作品でリアリティーを出すには友人達との日常関係の積み重ねが重要だが、そのような馬鹿馬鹿しくも不器用な日常がよく出ていたのではないだろうか。
生活感有る現実的な場面も適度に盛り込まれており良い話になっている。一言では言えないが言葉の的確さとか、場面の色使いとか絵作り、現実的な問題などリアルな要素を入れるほど作品に奥行きが出るものだと考えている。

執筆中急に思いついた言葉だが、高校生活とは“夢と現実の狭間”にある空間ではないだろうか。
社会に出て分かる事だがこれほど賑やかな空間で共感を分かち合える場もない。決して学校生活いい事ばかりではないがこの感覚は得がたい。

恋文よって高須と逢坂の接点が出来たは良いが両者の付き合いが異常に緊密だったと言う印象を受ける。序盤の竜児の「虎と並び立つものは昔から龍と~」というセリフには会って間もない筈なのでかなり違和感を覚える。恋の告白と受け取ってもおかしくない発言だ。
福男大会の展開はとちょっと急すぎたし、雪山救出の場面はその場で見つけられなかったのか?という少し疑問に残る場面など少しある。小説からアニメ化する際の兼ね合いとか時間の長さの問題などが幾分あるのかもしれない。

プレゼントの髪留めを逢坂がいつのまにか渡してしまったのは少し良く分からない。プレゼントを渡すなら竜児本人の手によって渡さないと気持ちが伝わらないからだ。プレゼントを渡す時期を過ぎてもプレゼントに関連する話を続けられるので、一つの保険的な役割のようにも見えた。

■高須竜児
家事全般が得意で父親譲りの人相の悪さで不良扱いされているが、優しく世話好きな側面もある。櫛枝に対して恋心を抱いている。

友人やパートナーとするならかなり大変頼りになる存在、何でもできる上に優しく真面目なので安定感は相当なものだろう。
当初から大河とかなり緊密な付き合いをし始める。不良と思われることでであまり浮いている感じがなく、恐れられる背景が少し薄い。それぞれの家庭の抱える一事情としてはありなのだと思うが、大した意味の有る設定なのかは疑問。櫛枝との恋愛感情を発展させる付き合いが不足していたように見える。

■逢坂大河
通称“手乗りタイガー”として周囲に恐れられており、広いマンションの一室を親からあてがわれ一人で暮らしている。父親に対しては寂しさと怒りを持ちつつも、家族としての愛情を求めている。

竜児ら高須家との親しい付き合いが良い。近すぎるとは思いつつも遠慮なく物を言い合える関係はいいものだと思った。
上記同様あまり浮いていない。北村に告白された事は意外性があり生徒会長の話と合わせる事で重要な意味を持たせられたと思う。また上記同様で北村との接点は何度か作られるものの竜児との場面が多く、北村との関係の進展が見られない。

■櫛枝実乃梨
豪快でハイテンション、暗いところなど微塵も感じられない底抜けに明るい不思議キャラ。学校とアルバイト、二足のわらじもきっちりこなす責任感を持っている。ある目標を持っているために努力している。

とにかく面白い。こういったキャラいいですね。作中1・2を争う脇役ではないかと思う。こういう笑いのセンスは正直うらやましい。ムードを引っ張るだけあって弱気な所や普段見せない顔をみせるとちょっといい意味でビックリする。
彼女の明るさは暗い部分を覆い隠す演技が含まれている様に見え、まだ作中でドロドロした過去を出し切れてない印象がある。
大河の父親が来る事を知った時に彼女の知られざる過去が見えた気がしたが、以前同様の出来事があった為と言う事で当てが外れた。竜児と喧嘩した後で大河に対して父親に対しての注意を促せたのか気になる。

■川嶋亜美
高校生でありながらモデル業をこなし、他の登場人物に比べ大人びたところがある。北村とは幼馴染み。

姉さんみたいな存在がいるといいものだ。身近に頼れる人間が何人か要るだけで安心感が違う。顔つきが生徒会長とよく似ているので、始めは同一人物だと思ってしまった。北村と幼馴染みという設定があまり意味がなかった様に思うので、無反応な北村を叱ったり、揺さぶる役割が少しはあっていいのではと思った。

■北村祐作
見た目も悪くなく頭も良いので女子に評判が良い。だからと言って静かにすました態度を取るのではなく馬鹿騒ぎも得意。イベントなどでも積極的に場を盛り上げる。露出好き。

彼は最も無責任を決め込んでいたんじゃなかろうか。序盤から大河を振って良い友達宣言をしたので役割は終わったと言えば終わっているが、片思いしている女の子達へはきちんとした態度は示せてない。大河に告白したエピソードは意味が無いと感じていたが一応繋がったのではないだろうか。

ところどころ気になる所があったのは確かだが、総合的に見ると見るべき点が多かった。特に櫛枝実乃梨のキャラは相当に面白いので一見の価値はあるだろう。

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2009年5月 8日 (金)

友人とのメールのやり取りについて

友人に対してメールでやり取りをすると色々不便な事が多かったりする、こと友人関係においてはメールは欠点が多いようだ。

メールと言うのはなかなか便利であるのは間違いが無い。人に対して想いを伝える方法には口頭で直接相手に伝える方法と文章で伝える方法がある。メールは後者になるだろう。
伝えられる情報量や即時性、文字の入力の手間が劣るものの、話す内容を整理しやすく、話の密度を高めやすいと言う利点があるのでメールを利用する事が多かった。

しかし、利用していく度に別の欠点が出てきた。メールに返信されないと虚しさを感じてしまうのだ。それはメールの内容について密度を高めた時ほど虚しい物は無い。ただ相手に一定の反応を期待して連絡をすると、相手が無反応だった時の無視されたような落ち着かなさ、話をしたい内容をそらされた時の脱力感というのは相当な物だ。
もちろん相手は制約された時間の中、文章入力に熟練していないかもしれないのに、連絡を返してくれるだけでも十分礼を尽くしているはずだ。付き合ってくれるだけで有り難い。
相手に一定の反応を期待して話題を振るのも一つの“甘え”の発想からくる行動だろう。

もっとも私は相手に何かを期待して行う行為全般は須らく“甘え”と言えるのという思いを持っている。この点は土居健郎氏の著書『甘えの構造』に詳しい説明がされていると思われる。最もまだ読んではいないが人づてで“甘え”について考えさせられたのでこの事について少し触れてみたい。

甘えの重要性、行き過ぎた自由(甘え)の行き着くところ

甘えられる状況にあるということはある大きな枠組みの中で許容されているから成立するのだと思う。
甘えにも一定の対応と秩序が必要で、一方的に甘える形だと我々が不利益を被ることもある。

例えばゴミのポイ捨てや不法投棄は見ていて腹が立つが、一定の秩序やルールを守る人々、その行為を許容する(黙認する)人々、法律の罰則規定の緩さに甘えている。あと個人の自由という考え方にも甘えているのではないだろうか。もし多くの人がゴミを投棄すれば街の景観は乱れ、莫大な税金が投入され、罰則規定も強化される。

ゴミに関連すると私は先日マツダスタジアムに行ってきた。球場内には沢山の飲食店が出店しているが、弁当の持ち込みは可能、ペットボトル・ビン・缶は持ち込み禁止になっている。もしゴミを散らかす人々ばかりなら、一切の飲食物の持ち込みは出来なくなっているだろう。(最もカープには風船を飛ばす慣習があるみたいなのである程度許容されているかも知れないが・・・)しかし極端な状況になれば持ち込み禁止もありうる話だ。

「人に迷惑を掛けなければいいじゃないか」と言う人がいるが、これは違う。関係の無い人々に意味の無い規則や罰則を課する行為で、日常生活の利便性を大きく阻害する物だ。一定の規律やルールは必要だが余計なルールは生活する人々の窮屈さや複雑さを増すばかりで良い事はない。
公共サービスでも救急車の目的外利用による代金徴収議論、生活保護の不正受給による制度的機能不全(改良の余地はあるかも知れないが)、など何かしら制限されていることはないだろうか。(サービス提供側が費用や手間を惜しんだ口実作りとも取れる場合があるかも)

良い仕組みがあっても利用者のモラルが欠けていれば周りに迷惑を掛ける結果を起こす場合があるのだ。せめて人に言われなくても守れる事ぐらいは守ってほしい物だ。 一言で表すなら勝谷誠彦氏が以前テレビで言っていた“馬鹿基準”と言ったところだ。

話を戻すと私のメールも友人との関係性という枠組みの中に甘えを求めていたからだと言える。
この点で互いの歩み寄りが出来ずに甘えについて良い関係が保てなくなっていたのだろう。

ただ“甘え”は悪い事ではなく甘える余地を残す事で人々に心理的余裕と安定を生むのも確かだと思う。
甘えを許されず他者を頼れず個人に対しての結果と責任を求められる時代になった今、甘えられる環境も必要なのだ。
そして、幸運にも甘えられる人々はその事に感謝しなければいけない。甘やかす側も甘える側に少なくとも何かを期待して甘えさせてくれている。お互いに甘え、甘やかされながら許し、感謝しあえる関係を作る事が好ましいと言えるだろう。両者の関係のどちらかが欠けても良い甘えは成立しない。

私には社会に寛容の精神が欠けていれば、世の中はとても息苦しくまるで地獄のように思える。
欠点ばかり指摘され、それをお前の自助努力が足りないのだ甘えるなと言われる事もある。それが個人の価値観を土足で入って否定した上に悪とされ、あまつさえ個人の存在価値をも喪失されることすらある。(あまりセンチメンタル過ぎても困ってしまうが)
挫けた気持ちを立ち直し前進していくためには膿を出さなければならない。気持ちを回復する方法として甘える行為は一つの方法としてあってよい事と思う。

心を痛めることばかり習熟しても得をする人はほとんどいない。小さい視点で言えば罵倒した側に心理的優越感を与えるだけにしかならない。ひとりひとりが学校や会社という集団の中で他者を傷つける行為が繰り返されれば、社会は暗い物になってしまうだろう。それは私は社会はひとりひとりによって作られていくと思っているからだ。

大げさに考える必要は無いが自分自身がすこしでも社会を構成している一員と思って生きたいものだ。
よりよい未来は自分が少しでも動かないと得がたいのもまた事実なのだから。

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2009年4月25日 (土)

コピー大国中国、ITソースコード開示制度5月発足?

某ブログや読売オンラインにてこのような記事がありました。その国が成熟させた技術を見せろと言っているのです。ウィルスの侵入防止など建前にしか聞こえません。豊富な技術を用いている企業ほど盗用のリスクが高まります。

中国がそのような信頼に足る国でないのは分かっている事です。盗人並に信頼が置けない国を国家と呼べるでしょうか。中国という国は知的技術に関しては“育てる”というより、海外から技術移転を行い利益を掠め取る行為をする気がします。

中国、ITソースコード強制開示強行へ…国際問題化の懸念

中国政府がデジタル家電などの中核情報をメーカーに強制開示させる制度を5月に発足させることが23日、明らかになった。

中国政府は実施規則などを今月中にも公表する方針をすでに日米両政府に伝えた模様だ。当初の制度案を一部見直して適用まで一定の猶予期間を設けるものの、強制開示の根幹は変更しない。日米欧は企業の知的財産が流出する恐れがあるとして制度導入の撤回を強く求めてきたが、中国側の「強行突破」で国際問題に発展する懸念が強まってきた。

制度は、中国で生産・販売する外国製の情報技術(IT)製品について、製品を制御するソフトウエアの設計図である「ソースコード」の開示をメーカーに強制するものだ。中国当局の職員が日本を訪れ製品をチェックする手続きも含まれる。拒否すれば、その製品の現地生産・販売や対中輸出ができなくなる。

どの先進国も採用していない異例の制度で、非接触ICカードやデジタル複写機、金融機関向けの現金自動預け払い機(ATM)システムなど、日本企業が得意な製品も幅広く開示対象になる可能性がある。

中国側は、ソフトの欠陥を狙ったコンピューターウイルスの侵入防止などを制度導入の目的に挙げる。しかし、ソースコードが分かればICカードやATMなどの暗号情報を解読するきっかけとなる。企業の損失につながるだけでなく、国家機密の漏洩(ろうえい)につながる可能性もあるため日米欧の政府が強く反発。日本の経済界も昨秋、中国側に強い懸念を伝えた。

中国は当初、08年5月に実施規則を公表し、09年5月から適用する予定だった。各国からの反対で、中国当局が今年3月、制度実施の延期を表明したが、これは適用開始までの猶予期間を設けることを指していたと見られる。

猶予期間はメーカー側が提出する書類を用意する時間に配慮したものだが、いつまで猶予するかは不明だ。日米欧の政府は詳細が分かり次第、中国側に問題点を指摘し、制度の見直しや撤廃を求めていくことになる。

ソースコード=コンピューター用の言語で書かれたソフトウエアの設計図。企業の重要な知的財産で、ソースコードが流出すれば開発成果を他社に利用される懸念がある。マイクロソフトは基本ソフト「ウィンドウズ」のソースコードを機密情報として扱い、巨額の利益につなげた。

(2009年4月24日03時10分  読売新聞)

http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/news/20090424-OYT1T00053.htm

中国への不信

中国の人々はコピーを当たり前に行う風潮があります。海賊版と言えば中国です。かの『クレヨンしんちゃん』も中国に商標権を先に取られた為に中国での展開に支障をきたす事態が起こっています。創作物に対して正当な商業的価値を持たせる事は中国には難しいのです。盗用してはそれを自分達の利益に繋げる行為をするのではという心配が常に残りますね。

以前当ブログでも取り上げたと思いますが日本での犯罪の割合で件数が最も多いのも中国でした。それ以降は韓国やブラジルなどがトップだった気がします。人口も桁外れで地政学的にも距離が近いからという事が言えるのでしょうう。韓国も人口比率に比べて犯罪件数はかなり高かったです。

:Wikipedia:外国人犯罪Google検索(日本 中国 犯罪)Google検索(日本 犯罪 割合 外国)


日常的にコピー行為を行い、犯罪率が高く、国家としての信用も無い・・・。そんな国で事業展開している海外の優れた知的財産を中国側が濡れ手で得るような行為をするなどまともな感覚を持っていればどの国家も企業も賛同できるはずがありません。

中国や韓国を利する鳩山氏やカルデロン

時をほぼ同じくして中国関係で鳩山由紀夫がニコニコ動画で外国人参政権や沖縄ビジョンにについての質問に答えた場面が注目されています。民主党が日本の為の政党ではないと明白になってきました。民主党INDEX2008の内容や沖縄ビジョンについてはYoutubeなどで民主党の一国二制度の危険性などが指摘されています。

外国人が国籍を取りやすくする状況は危険極まりない事です。先のカルデロン一家の出来事は関連性が無いように見えて、不法入国の犯罪者が国籍を取得しやすくしようとしているのだから、日本への入植を中国が計画しているなら偶然にも利害は一致します。日本人は温情があるのでしょうが、温情で許してはならない事もあることを覚えておくべきです。

例えばもし私達が中国や韓国に対して何の情報もないままに韓国人や中国人が涙ながらに
・「昔日本兵に拉致されて強制労働を強いられ、挙句慰安婦としてひどい仕打ちを受けた。」
・「日本人が南京大虐殺を行って、それはもう悲惨な有様だった。」
と言うような証言を聞いたとしたらその悲しそうな様子を見ると申し訳ない気持ちになってしまう。

このような証言にはだいたいは証言ばかりで事実確認と証明が伴っていません。実はそれが自主的な売春婦に近い状況や証拠写真が事実と異なる物だと知っていれば嘘をついているのだと理解できます。感情的には理解できても同情すると後々謝罪と賠償と言う痛い目を見るでしょう。一般に広く認知され関心を引けばしめたもので賠償や謝罪を求めてくるでしょう。

カルデロン一家の出来事も可愛そうに思えても温情を示して国籍を与えるきっかけを作ってはなりません。彼らに国籍を与えたとしたら、不法入国が合法的な意味合いを持ちます。その結果得ををするのは偶然にも中国になるのではないでしょうか。そして最も損をするのは日本人です。

私は中国の最大の武器はその膨大な“人口”だと思っています。彼らを入植させる状況さえ作れば、政治を動かせるほど危うい。中国人個々の国に対する忠誠心と膨張・拡大主義は底知れないし、国益を侵しての膨張は決して相容れる事はありません。鳩山氏は「日本人の寛容の精神が~」等と言っているが平和的融和が通じる相手ではないでしょう。
これは偏狭なナショナリズムや排他主義で言うのではなく、明確に中国の経済的・文化的侵略に他なりません。

解散時の選挙に際しては我々は慎重な一票を投じなければならないでしょう。


↑テレビで取り上げたの評価しますが「ネットでの人気が高い」麻生氏に繋げる所はちょっと変ですね。
ネットにネガティブなイメージを持たせたいのか、ネットの声を語る声は暗い喋りをしています。

↑愛のテーマを語る、愛の伝道師 鳩山様は本当にについて考えられているようです。
夢や理想だけでなく政治家としては現実感をもって欲しいところです。

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2009年4月17日 (金)

Core2購入に際して電源など検討

去年使用していたPCの音声が入力が故障してしまい、新たにPCの新調をせざるをえない状況になってしまいました。Core2コアのCPUをいずれ購入したいと思っていたのものの、まだ割高感があった為にCore2の価格が安くなるまで当面は省電力かつコストパフォーマンスを重視してパーツを選択しました。
電源などは容量の低いものを選び、CPUはConroeコアを使っている省電力のCeleron420、その他パーツを再利用したりで2万円程度に何とか金額を抑える事が出来ました。(どうも電源については容量が大きくても消費電力には影響しないようです。)
通常のネット閲覧やゲーム、動画鑑賞をする分には特に不満はないものの、動画のエンコードが数倍早くなると言う事と、消費電力がPentium4と比較すると大幅に下がる事に大きな魅力を感じていました。

そろそろ買い時だろうかと思いオークションをチェックしてみると、現在はオークションなどでは中古の初期のE6x系統ならCPUのみで5千円程度から、FSB1333Mhz版については1万円前後、E8x系統なら1万2~3千円程度で落札されているようです。ですがこの際なのでもう少し待ってQuadコアを購入も視野に入れています。

QuadコアのCPUの消費電力は95wとなっています。アイドル時などはそんなに電力を消費しないみたいなのですが、高負荷時においては120wを上回ることがしばしばあるようです。また一般に公表されていない電圧の変換効率(VRM)とかいうものがあり、Pentium4の時なら電力を8割近く利用できるのが、Core2等の場合は6~7割も落ちてしまうらしく、電源の品質によって供給できる電力もさらに低下します。マザーボードの変換効率もまた差があります。
「電源容量が大きいと消費電力が増えるのでは?」という心配があったのですが使用する消費電力はパーツに使われる電力以上には消費されないと理解できる回答がネット上にあり大容量電源に交換するデメリットも特にないと判断しました。

そこで電源について考えてみました。
電源を購入する際の目安は何ワットかという表記(350wや400w)を目安にするものの必ずしもこれだけを信用してはだ駄目なようです。容量が同じでも古い電源と比較的新しい電源によってはスペックなどが異なります。
“最大出力”や“+12V”の値が特に重要のようでアンペアの数値が足りなくなる事があります。電源によって最大出力がどれほど持続性があるものなのか良く分かりませんが消費電力が変動することを考えると容量が多いに越した事はないでしょう。

電力の計算で役に立つのがこの電源容量 ☆ 皮算用 ☆ 計算機。です。私のような初心者向けにも簡単ながら細かく説明がされており大変便利。これを使ってQuadコアで最大限電気を使う状態で想定して計算してみると電気なども知識もないアバウト試算ながら以下の通りになりました。

 denkishisan01
Core2の消費電力を比較しているページ等を参考にQ9300単体では(高負荷時125W・アイドル時80W程度)の設定で変換効率を65%程度まで落としてみるとピーク電力が190W、12vが15.83Aにもなりました。HDDも結構電気を食うらしく電源投入時には1台で30~40Wていど必要となります。せめて最低でも余裕を持って動作させるにはだいたい500W以上の電源であればいいかもしれません。グラフィックボードを使うとまた違ってくるでしょうが、個人的にオンボードのVGA出力で良いのでその辺は神経質に考えていません。

この時のスペック表記で最大出力(ピーク電力)とアンペアが足りる電源を購入すれば多分良いのだと思います。
幸いにして動作が不安定になることはこれまでないんのですが、パーツなどの故障の原因になりかねないので必要十分な電源を用いたい物ですね。
 
参考
Intel CPU 「Core2」を安定して動作させるためには、高品質電源とハイエンドモデルのM/Bが必要???

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2009年4月 1日 (水)

オークション利用者に衝撃 Yahoo!ゆうぱっく終了

Yahoo!オークションを利用していたらこんなお知らせがありました。

Yahoo!ゆうパックサービス終了のお知らせ

2009年03月31日

いつもYahoo!オークションをご利用いただき、誠にありがとうございます。

この度、Yahoo!ゆうパックのサービス終了に伴い、 Yahoo!オークションでは、次の通りの対応をさせていただきます。
詳細は こちらをご覧ください。

■Yahoo!オークションにおける出品時の取り扱い
・2009年4月22日(水)午後2:00~
出品時の「商品配送の設定」欄にて、Yahoo!ゆうパックをご選択いただけなくなります。

■各種手続きについて
・2009年5月31日(日)午後6:00~
Yahoo!ゆうパックの新規利用登録および新規配送申し込み受付を終了いたします。

・2009年6月30日(火)午前0時00分~
取扱店舗おける発送手続きがご利用いただけなくなります。
※発送手続きは、2009年6月29日(月)午後11時59分までにお済ませ下さい。

■お問い合わせ先
Yahoo!ゆうパックに関するお問合せにつきましては、下記までご連絡をお願いいたします。

サービス運営元:伊藤忠商事株式会社 Yahoo!ゆうパック事務局
お問合せ先:Yahoo!ゆうパックサービスセンター

平成20年6月2日付けの文書で日本郵政グループの郵便事業会社と日本通運が宅配便事業が統合されて新ブランドに移行するとの事らしいです。社名はJPエクスプレス株式会社となるとの事です。各所では廃止を嘆く声や小泉総理の郵政民営化の批難がされています。事業統合に伴う廃止であれば通常のゆうパックも廃止されるかもしれません。
Yahoo!がオークション規定などを改悪をするのはよくある事ですが、今回はそのような決定ではない気がします。

普段からオークションを出品で利用していた事もあり大変重宝したサービスでした。本来のゆうパックがサイズ制であるのと違い重量制を採用していたのでサイズが大きくて軽量な荷物の発送には金額的にも大変便利でした。伝票を自分から入れなければならないのでコンビニの店員さんには伝票の入れ間違えでご心配を掛けました。
普通のゆうパックについても重量をあまり考慮しなくてよかったので同様に便利なサービスでした。

個人的な主観ではクロネコヤマトよりは荷物の配送については国営事業としてそれなりに安心感があった様な気がします。一利用者としてとても残念な思いがします。

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